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2019.08

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第二次大戦のとき女性の軍人がいたか 

http://tigerbutter.jugem.cc/?eid=792
>女性将校は落ち着いてから、つてをたよっ
>て東ドイツの件の元下士官を見つけ、結婚
>した、という

ガンダム等では其の侭
脱走して戦争から逃げる等と言うのは
良く有るだろうが
此れは有り得たのだろうか


>ソ連空軍の夜間爆撃機女性パイロット一同。

爆撃機の方が戦闘機より
やられるリスクは高いかも知れぬが
夜間爆撃ならどうなのかだが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98
リュドミラ・パヴリチェンコと言うのも
ヘイヘ等の様にSMGは
使用したのかどうかだが
狙撃銃の速射には体力が要る訳だろうし
ヘイヘ等の様に一分間に16発等は
撃てたのかだが
この様な技を使う機会と言うのは何処迄有るのかだろうし
狙撃兵として重要なのは射撃の腕では無く
隠れた敵の位置を予測する能力及び
敵から隠れる能力が重要と言う
事かも知れぬが
(素早く移動する足の速さや
 移動し続けるスタミナと言うのも
 重要かも知れぬが)

ノモンハンでジューコフが指揮を採って居なかったらWW2でロシアは敗れて居たか 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>ソ連軍司令官のジューコフは、この戦いで兵站上の革新を成し遂げた。19世紀後半から1939年までの陸軍の兵站線は鉄道を主体とするものであり、鉄道と港湾を離れて大軍を運用することはきわめて困難とされていた。
>しかしジューコフは、後方基地からの650-750kmに渡る長大な兵站線を大規模自動車輸送によって確保し、8月までに大量の物資を蓄積したことで、8月攻勢の前に十分な戦力を整備したのであった。当時のソ連軍は一般に補給を軽視していたが、ノモンハンは例外であった。
>ソ連側が自動車輸送によって大規模かつ迅速に補給を受けていたのに比べ、貧弱極まる補給態勢だった。この補給量と戦力の隔絶が以後の戦いの帰趨を決したといっても過言ではない。

ジューコフが補給を上手くやらねば
ロシアは敗れて居たと言う事は無いのかだが


ジューコフが指揮を採って居なければ
日本は負けたとは思わず
ロシアとの和平等は考えず
ドイツ軍がロシアに攻め込んでも
東方の兵力は使えず
ロシアは敗れたと言う事は無いのかだが
(モスクワに残って居ても
 ジューコフは果たして
 粛清されたのかだが
 粛清から逃げられないと判断すれば
 アメリカ等に亡命したと言う可能性も
 有るのだろうか)


http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1181871275
>必要量輸送できる見込み立たなきゃ決戦回避で大敗はないだろう。
>希望的観測の罠に捕われていなければだが。

決戦回避なら日本の対露戦の可能性は残り
ロシアは東方の兵力を西方に動かせず
独に敗れたと言う事は無いのかだが


日本がロシアに対抗する必要が有るなら
米への攻撃と言うのは無くなり
ドイツがロシアに勝った後は
ドイツに対抗する為に対米開戦は
回避されたと言う可能性も有る訳だろうか

クレマンソーが1920年に日米戦争を警告したと言うが 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC
クレマンソーやフォッシュが居なければ
仏はWW1で敗れていたと言う事かも知れぬが


http://blog.goo.ne.jp/joy4989/e/4d2ab0d76c12ead4511ccd75380d2651
>‘あちこちで、日米戦争が将来起きると聞かされているが、それはほんとうか’ときいたところ、虎といわれていたクレマンソーは次の如く答えた。
>‘それは当たり前だ。アメリカは、太平洋に発展するには、日本はじゃまなんだ。太平洋
>や中国大陸で、アメリカが発展するために、日本の勢力をとりのぞかなければならないのは、当たり前だ。フランスにきているアメリカの軍部の高官連中は、みんなこういっている。
>今回の戦争{大正7年11月に終わった第一次世界大戦}で、ヨーロッパでは、じゃまになるドイツをたたきつけてしまった。今度は太平洋でじゃまになる日本をやつける、といっているよ。

等と米国人が言って居たのは
事実なのかだが
日本を仏側に付けようと言うクレマンソーの策略では
無いのかだが

WW2の日本軍の兵器 

http://military.sakura.ne.jp/ac/ku8.htm
四式特殊輸送機は
2トンも積めない様だが

http://www2u.biglobe.ne.jp/~surplus/maru0206.htm
>日本陸軍の空挺用グライダーです。私が知っ
>ている限りでは、沖縄に第九師団を空中輸送
>したときぐらいしか、使用されていないみた
>いですが。

600機生産されて居るが
余り使用されては居ない訳だろうか


http://cb1100f.web.infoseek.co.jp/collection_1a.htm
>四式落下傘世界に先駆けて我国が採用した吊
>索優先
>の開傘方式でこれによりノロシとなり不開傘
>が絶無とい
>われた。戦後、米軍がこれを真似てT-10を開>発したと
>言われています。

日本軍空挺部隊は米独より高性能な
パラシュートを使用して居たと言う事かも知れぬが
何時頃投入されたのだろうか


http://www.geocities.jp/aobamil/3-6.html
><四式落下傘>:日本陸軍の落下傘で、一式
>落下傘の後継。重機関銃を持ったままで降下
>できる。レイテ島降下作戦で使用された。参
>考:戦場写真で見る日本軍実戦兵器

レイテで初に投入されたと言う
事かも知れぬが
以後活躍の場は余り
無かったと言う事かも知れぬが
他国のパラシュートでは重機関銃を持った侭
降下は無理と言う事かも知れぬが


http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/smg/100siki.htm
> このパレンバン油田攻撃自体は地上部隊
>との連携も上手くいき作戦自体は大成功を
>収めたのだが、空挺作戦自体は大問題があ
>った。空挺部隊員はライフルなどの長さが
>あり、かさむ武器類は別のコンテナに入れ
>て投下して、兵士は落下したコンテナから
>武器を拾って戦う事になっていた。しかし
>パレンバン油田攻撃時にはコンテナ回収が
>できず、兵士は携行していた拳銃と手榴弾
>と銃剣のみで戦った。パレンバン油田を守
>るオランダ軍は実に1100名を数え、多数の
>機関銃および装甲車をも配備していた。平
>和ボケしていたオランダ軍に戦意がなく、
>なんとか持ちこたえたわけだが、毅然とし
>た攻撃をオランダ軍が加えていたならば全
>滅は必至だった。そのため、昭和18年にな
>ると折りたたみストック型が開発された。
>上のように兵士が武器を携行できるように
>したのだった。

パレンバンでは未だ
空挺部隊は機銃は携行出来なかったと言う
事かも知れぬが
仮にオランダ軍が攻撃して来ても
戦車の入れない山等に逃げて
塹壕を掘れば
可也持ち堪えたと言う可能性も有る訳だろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E3%80%87%E3%80%87%E5%BC%8F%E6%A9%9F%E9%96%A2%E7%9F%AD%E9%8A%83
>弾倉が横についているため、地面に這って射
>撃ができた

此れは独のFG-42等も同様だろうか
現代のMP5等のSMGは伏せ撃ちは
考慮して居ないと言う事なのだろうか

>弾倉が横のため、射撃時にバランスが悪かっ
>た

と言う事を
問題視したと言う事かも知れぬが
SMG等近距離でしか射撃出来無いなら
伏せられた方がましと言う事は
無いのかだが


>銃剣装置、立脚装備のため重量の加算

まあしかし弾の無い日本軍の場合は銃剣は
必用では無いのかどうかだが



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B9%9D%E5%BC%8F%E8%BB%BD%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83
>九六式軽機関銃と同様に銃身(バレル)内に
>クロムメッキが施され、他国の軽機関銃に比
>較し桁違いに高い耐久性を誇った。

一〇〇式機関短銃等は
どうだったのかだが


>また、日本軍の軽機関銃の大きな特徴と言え
>る着剣装置が装備されている。

>。近年、これは白兵戦用ではなく、発砲時に
>銃口を安定させる為のバラストの代用(標準
>装備である銃剣を用いれば、専用バラストの
>必要がない)であるという主張と再評価がな
>されている。

此れの銃剣は流石に白兵戦用では無く
バラストだった訳だろうか


>九九式軽機関銃の生産数は約45000丁とされ
>ているが、この生産数は当時の大日本帝国陸
>軍の規模から考えるとかなり少ない数と思わ
>れる。世界一の工業大国である米国の機関銃
>生産数とは比較するまでもないが、同盟国で
>あるドイツと比べても一桁少ない数であ
>る。 当時の日本の国力では、高価で大量の
>弾薬を消費する機関銃を数多く揃えるのが難
>しい事情もあったが、日本陸軍伝統の火力軽
>視・白兵戦偏重主義の影響も大きいものと思
>われる。

日本軍の場合は
塹壕外部の敵に反撃するのは
銃砲撃で頭を抑えられれば困難だろうし
塹壕内での戦闘を想定するなら
軽機関銃よりも
SMGが欲しかったと言う事かも知れぬが


まあしかし手榴弾は塹壕の溝で
無力化されるとしても
大型の集束爆弾等を使われれば
どうだったのかだが
独以外は何処迄
此れを用いたのかだが


http://tungs.sakura.ne.jp/toygun/fg42/fg421.html
独空挺部隊のFG42にも銃剣が有るが
此れはライフルも兼ねている故と言う
事かも知れぬし
MP-40に銃剣等は
無い訳だろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B9%9D%E5%BC%8F%E9%87%8D%E6%93%B2%E5%BC%BE%E7%AD%92
此れを水平射撃して居たとは
知らなかったし

http://www.warbirds.jp/ansq/41/D2001396.html
>ジャングル等での近接戦闘時にはすぐに擲弾
>筒で火力支援ができるため、非常に有効な兵
>器です。米兵からは大戦中最も恐れられた歩
>兵小火器で、英軍も似たような兵器を今も使
>っています。

米英にもライフルグレネードが
有った訳だろうし


>最近読んだ資料に、ガダルカナルで戦った米
>陸軍将校のこんな証言が出てきました。

>ーーー”我々の六十ミリ迫撃砲は直接射撃
>(水平射撃)ができなかった。(中略)だか
>ら、我々は日本軍の迫撃砲を本国に送ってお
>なじようなものを作らせたんだ。”改良され
>た迫撃砲は、引き金がついており、直射が可
>能になった。ジャングル戦で川を隔てて退治
>する敵陣に直接迫撃砲を撃ち込むのに役立っ
>たという---

上の様な水平射撃可能な迫撃砲も
八九式を模倣して
開発されて居た訳だろうか


http://yasai.2ch.net/army/kako/980/980501646.html
>当時米軍がジャングルで日本軍の擲弾筒に手
>を焼いて、
>米軍側の60mm軽迫撃砲は、分隊レベルでは配
>備されてなかったから
>(しかも日本の擲弾筒よりずっと重いし)

まあしかし米の軽迫撃砲も
後で比率が増えたと言う事は
無いのかだが
(無論米の軽迫撃砲の方が
 比率は兎も角
 数は多かった訳だろうが)
ライフルグレネードも余り
無かったと言う事なのだろうか


http://military.sakura.ne.jp/oth/main/story/89_grenadier.htm
>終戦間際になってモンロー効果を利用した対
>装甲弾である五式穿孔榴弾も開発された。

89式用の
対戦車用の砲弾も開発はされて居た様だが
余りに遅かったと言う事かも知れぬが
50mmでは戦車の正面装甲を
貫けるのかだが


http://nikuman-69gou.iza.ne.jp/blog/entry/178811/
>飛行場に押し寄せてきたM4中戦車を、整備中
>の航空機から外した20ミリ機関砲をトロッ
>コに据え付けただけの急造兵器で撃退してし
>まったくだりなんぞは、

正面装甲は流石に
20mmでは貫けなかったと言う事かも
知れぬが

80mmの無反動砲等も
開発はされて居た様だが



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%80%87%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%A0%B2
75mmの90式野砲なら
500m程度でM4は撃破出来たのかも知れぬが
800門しか無く
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%A9%9F%E5%8B%95%E5%9B%9B%E5%8D%81%E4%B8%83%E7%B2%8D%E9%80%9F%E5%B0%84%E7%A0%B2
47mmではM4の側面装甲しか
貫けぬ訳だろうか


>硫黄島の戦いや沖縄戦で部隊の先頭に立たさ
>れたM4中戦車の多くは履帯を砲塔に巻き付け
>たり、増加装甲板を貼り付ける等の防御力強
>化対策をとっていた。

此れ等は75mmでも
正面を貫通出来たのかだろうし
ジャンボやE8等も同様に
正面からでは歯が立たない訳だろうか


http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000339.html
>1943年(昭和18年)、日本陸軍は(無
>謀にも)ティーガー戦車をライセンス生産す
>る計画を立てていた。ドイツ側は日本の提案
>を受諾し、
>1台のティ-ガー戦車が日本向けに用意され
>た。日本は645,000ライヒスマルクを
>ドイツに支払ったが戦局が混乱した時期でも
>あり結局は日本に送られずじまいに終わった
>とありますが、ティーガーは日本の戦車のコ
>ンセプトと相対するところにあると思います
>がどういうことなんでしょうか?

まあ中戦車でさえ数は揃えられぬだろうし
対戦車ロケット或いは
マーダー等の自走砲の技術を
学ぶべきだったと言う事かも知れぬが


>戦車は道路しか走れないわけではなく、連合
>軍の工兵能力を持ってすれば「道を整備して
>戦車を通す」事さえ可能でした。

戦車を避ける為に山に篭っても
こう言う事が起き得る訳だろうか



http://64.233.167.104/search?q=cache:w5xsaVfmaL4J:choco.2ch.net/army/kako/1003/10031/1003154243.html+%22%EF%BC%99%EF%BC%90%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%A0%B2%22&hl=ja&ct=clnk&cd=15&gl=jp
>それで装甲厚はM4で50mm、M4A3で
>62.5mm、傾斜は47度ですから、実質はこの
>1.5倍程度の
>装甲厚となります。(しかも日本側の砲弾は
>傾斜装甲での滑りを防ぐAPC弾ではありませ
>んから
>M4側は傾斜装甲の利点を十分に発揮出来ま
>す。)
>もし95式破甲榴弾なら傾斜装甲の前面からの
>射撃で確実撃破距離100m程度は妥当かもしれ
>ません。

75mmの90式野砲でも
至近距離でしかM4の正面は
貫通出来無いと言う上方も有るが



まあE2やE8以外も
キャタピラを車体正面に張っていたら
75mmで至近距離でも
貫通は困難かも知れぬし
成形炸薬弾も小型の物では
通用しない訳だろうが


http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/M4.html
>シャーマンファイヤフライⅠc:17ポンド砲

此れは砲塔や車体側面に迄
キャタピラが貼り付けて有るが
位置が高いかも知れぬし
側面からの対戦車砲の射撃を
何処迄止められたのかだが


http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/M4.html>M4A3E8シャーマン:76mm砲 土嚢防御

車体部分は成形炸薬は
可也防御可能かも知れぬが
大型の成形炸薬弾には
効果は有るのかどうかだが


>実車では、この土嚢は車体と同じ色に塗って
>いるようです。迷彩も車体と同時に行ってい
>る写真もありました。が、作例では折角のき
>め細かいモールドを活かしたかったので、布
>っぽくしています。

土嚢を態々
迷彩して居た訳だろうか


シュルツェンを使用すれば
側面からの成形炸薬弾の攻撃は
ほぼ完全に止まると言う事は
無いのかだが



http://sensya-otoko.seesaa.net/article/10343663.html
>歩兵連隊の歩兵砲たる連隊砲=41式山砲(75mm)用のタ弾(対戦車成形炸薬弾)が開発されある程度の数が生産・支給されています。
>確か貫徹力は100mmほどでシャーマン正面も撃破できますが、やはり広大な戦線に展開する大部隊に対しては数が少なすぎたようで、貴重な扱いだったようです・・・

此れは日本軍が唯一実戦で
対戦車用に使用した
成形炸薬弾なのかだが
精度はどうなのかだが
壕内部から発射するなら
近距離でしか命中しなく共
何とか成ったと言う事かも
知れぬが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%B8%80%E5%BC%8F%E5%B1%B1%E7%A0%B2
>終戦時には外装式のタ弾も試作された。試
>製外装式タ弾は弾頭直径が大きい分貫徹能
>力も向上し、最大で300mmの装甲を貫徹可
>能であったという

此れはM26やM4E8等を正面から
撃破可能だった訳だろうか



>山砲タ弾や擲弾筒タ弾が大量に支給されていれば
>日本軍歩兵も米英戦車に対してあれほど苦戦しなかっただろうにとおもうととても残念ですね・・・

擲弾筒夕弾ではM4の正面は
貫通不能かも知れぬが
M3なら叩けたと言う
事かも知れぬが


http://ja.wikipedia.org/wiki/PIAT
此れならロケット技術は無用だろうし
容易にコピー出来なかったのかどうかだが


http://www.japaneseweapons.com/gunyojyu/keitai/index.htm
>二式タ弾投擲弾器(1942)はドイツの技術
>で開発された対戦車用兵器。タ弾は木製弾
>丸を使用して発射された。

此れは1942に作られたと言うが
何処迄使用されて居たのかどうかだが
M3は兎も角M4の正面装甲は
貫けぬ訳だろうか

http://cb1198f.web.infoseek.co.jp/collection_1c.htm
>陸軍 ニ式擲弾器(対戦車用)の擲弾(タ
>弾)

実弾も一応残って居るが
40mm程度ではM3の正面装甲が
貫ける程度と言う事かも知れぬし
下手をするとM3の正面も
貫けぬかも知れぬが


>ドイツからの技術支援で作られた30mm
>と40mmの成形炸薬を利用した2種類が
>ある小銃に装着して使用する二式擲弾器、

ライフル用の対戦車擲弾は
最大40mmと言う
事だろうか


>さて、この他にも一応、歩兵用の対戦車兵
>器としては、九四式三七粍速射砲(距離約
>500mで24mmの装甲を貫徹する)や
>九八式二十粍高射機関砲や九三式十三粍機
>関砲が配備されていました。この機関砲
>は、対戦車用の鉄甲弾を使用することで、
>対上陸用舟艇、対水陸両用トラクター用
>(装甲が無いに等しい車両だったため)に
>威力を発揮、上陸を試みる海兵隊を苦しめ
>ました。

装甲の薄い海兵隊車両は
20mmでやられていた訳だろうが
機銃や小銃は防げたのかどうかだが


>このような、威力不足な兵器でもって太平
>洋戦争を戦い抜いた旧帝国陸軍ですが、意
>外と米軍に対して、一定の戦果を挙げるこ
>とに成功しています。これは、太平洋戦線
>がジャングルやら山岳地帯などの錯雑地形
>が多く、また、旧帝国陸軍が偽装の達人だ
>ったため、対戦車兵器に十分な隠蔽を施
>し、戦車遭遇戦闘の基本として待ち伏せを
>重視したことにより、敵戦車をやり過ごし
>た後、側面やら後方から射撃を開始、撃破
>するという戦法を多用したからです。この
>戦法は、サイパンや硫黄島、沖縄などで用
>いられ、米軍戦車に多大な損害を与える事
>に成功しています。また、日本軍は対戦車
>肉薄攻撃隊を支援する為、戦車に随伴する
>歩兵を迫撃砲やら擲弾筒などの弾幕射撃で
>迎え撃ち、歩兵に出血を強いました。この
>ため、海兵隊の一部の部隊は、戦車の随伴
>を拒んだほどだそうです。

米の随伴歩兵と言うのは
可也やられて居たのかどうかだが
後には威力偵察で待ち伏せは
読まれて空爆や遠距離砲撃等で
排除されたと言う事は無いのかだが
山の中の壕の中で待ち伏せて居れば
空爆や砲撃も何処迄通用するのかだが
米側も道路を山に通したり
塹壕を掘り進めて補給を絶つ等して
対抗したのかどうかだが


>戦車には、先に述べた吸着地雷対策に厚さ
>5cmの木の板を装着し、ハッチには鋼鉄
>棒を加工した網カゴを装備、エンジンルー
>ムの上には土嚢を積み、戦車の前面には予
>備の履帯を貼り付け、さらに、日本兵が戦
>車に飛び乗って自軍の兵士に機関銃を乱射
>させないように、砲塔上面の機関銃を撤去
>するという状況です。そこへ、日本兵が吸
>着地雷やら、破甲爆雷、爆薬筒を持って突
>撃する様子が描かれ、他に、40mmの二
>式擲弾を発射する兵士や、戦車に馬乗りに
>なって、後部エンジンルーム上面に破甲爆
>雷を2個木の板で挟んだものを仕掛けよう
>とする兵士や、ハッチをこじ開け、九九式
>破片手榴弾を投げ入れようとせんとする兵
>士が描かれています。まさに、肉弾攻
>撃・・・。しかし、硫黄島の戦いでの戦車の
>最大の損失原因は、広範な地雷の使用、航
>空爆弾や魚雷まで使用したのですから、戦
>車など文字通り粉微塵に吹き飛ばされてし
>まいます。そして、お次が一式機動47粍
>速射砲による攻撃だったそうです

エンジン上面に土嚢迄積まれてはだろうが
キャタピラやスコープ・砲身等は
破壊出来たと言う事かも知れぬが


火炎放射戦車に塹壕内で肉薄攻撃等は
無理だろうし
此れは遠距離から成形炸薬弾等で叩くか
歩兵が塹壕から出て叩く以外
無いと言う事だろうが
此れにはリスクが有る訳だろうか

クレタ島の戦い 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%BF%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>降下に先立ちドイツ空軍の3時間に渡る激し
>い爆撃により、ほとんどの対空兵器を破壊し
>たにもかかわらず、ドイツ軍の降下部隊は大
>打撃を受けた。

対空兵器を破壊したにも関わらず

http://www.tante2.com/tante2.htm
>クレタ島攻略戦において対空砲火を受けて火
>を吹きながら墜落するJu52 クレタ作戦に
>は493機のJu52が投入されたが、その半数
>が失われた

上の様な被害が出て居るが
空港確保後でも
周辺から銃撃を
受けたのかも知れぬが


>1941年、ギリシャの飛行場でクレタ島攻略に
>向かう第5山岳師団・空挺部隊
>胴体下にぶる下がっているのは銃座!!

この銃座は地上からの機銃攻撃に
反撃する為の物なのか
どうかだが


http://www.wowow.co.jp/bob/special_01b.html
>しかし、英軍は空挺部隊の4倍の兵力を持っ
>て迎え撃ち、対空砲火や地上砲火の前に空挺
>部隊は損害を出してしまい、ドイツ軍は陸軍
>の第5山岳師団を空輸で増援し1週間あまりの
>激戦の後にクレタ島の占領には成功するもの
>の、損害は空挺部隊の約半数というあまりに
>も大きい被害に、ドイツ軍首脳は長い時間を
>かけて訓練したエリート部隊を短時間で壊滅
>的損害を出してしまう「空挺作戦」に疑問を
>持ち、以後の運用に対して慎重になりさらに
>これ以降、大規模な空挺作戦は行われなくな
>ってしまった。


4倍もの兵力が居てはだろうが
空港周辺に兵力を集中して
此れを早期に確保し
大兵力を空輸すれば
何とか成ったと言う事は無いのかだが
(海上輸送は英艦艇を
 排除出来無いから
 無理だったと言う事だろうが
 艦砲射撃は敵味方が入り乱れて居たからか  何故か受けなかったと言う
 事かも知れぬが
 確保後の空港を砲撃されれば厄介だったと言う事は
 無いのかだが)



http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000050.html
クレタ島攻略ではケッテンクラートが砲牽引に
利用されて居たのかどうかだが


http://masatomaikata.blog55.fc2.com/blog-date-20070701.html
>しかし、この作戦は暗号解読によって英軍に
>察知されていました。
>英軍はドイツ軍の降下猟兵が来る位置を把握
>していて、防備を固めていたのです。

4倍の兵力に防備を固められ


>しかも、考えられない不幸な事件が、作戦開
>始早々のドイツ軍を襲います。

>それはこの降下作戦の一翼を担う第七航空
>(空挺)師団の師団長ヴィルヘルム・ズース
>マン中将と師団幕僚全員が、分散せずにたっ
>た一機のグライダーに搭乗したことによって
>起きました。

>満を持して発進した師団長以下の師団司令部
>を乗せたグライダーでしたが、あろうことか
>曳航する航空機との間をつなぐワイヤーを、
>味方機が誤って切断してしまいます。

>そのためグライダーは錐もみ状態となって地
>面に激突。
>師団長以下の師団幕僚全員が戦闘以前に事故
>死してしまったのです。

指揮官を分散せずに搭載したと言うのは
問題では無いのかどうかだが
作戦にどの程度影響したのだろうか



http://www.h2.dion.ne.jp/~yacinema/Wehrmacht/contents/honbun/balkan/balkan5.htm
>クレタ島攻略作戦はレールとシュトゥーデン
>トの提案を基礎にまとめられ、その計画の骨
>子は同島北部に点在するマレメ・レティモ・
>ヘラクリオンの三ヶ所の英軍飛行場と島の首
>都であるカニアに対し、グライダーとパラシ
>ュート降下部隊による奇襲攻撃を企てこれを
>占領すると言うものであった。

4箇所に兵を分散するのも
問題だろうし
飛行場を1箇所は完全に確保し
残り二箇所は英が使用出来ぬ様に
少数の兵で撹乱すると言う様な
方向も有ったかも知れぬが


>しかし連合軍のクレタ島守備兵力はドイツ
>軍の予想より遥かに強力なものであった。
>本国が既に降伏していた1万582名のギリ
>シャ軍将兵こそその装備や士気が低下して
>いたとは言え、英本国軍を始めとしてオー
>ストラリア、ニュージーランド軍など英連
>邦軍の士気は、ギリシャでの敗戦にも関わ
>らず依然として高かった。英軍総司令官の
>フライバーグ少将は英国海軍が地中海の制
>海権を支配している事で、ドイツ軍がコリ
>ント地峡に対して行ったような空挺攻撃に
>よる奇襲を仕掛けてくるものと予想して麾
>下の部隊を巧みに配備させていた。


独側は英の兵力を把握出来ず
英が空挺作戦を予想して居た事も
知らなかったと言う事かも知れぬが


>各地に降下した降下猟連隊は、準備怠りなく
>待ち構えていた英軍守備隊の予想以上に激し
>い抵抗に合った。無事に着地した降下猟兵達
>も、落下傘装備を体から外す間も無く激しい
>斉射の中で身を伏せるのが精一杯で、コンテ
>ナに収められた迫撃砲や重機関銃を取り出す
>事もできなかった。

>ハイドリッヒ大佐の第3降下猟兵連隊はカニ
>アの南西にある峡谷に降下したが、そこは旅
>団規模のオーストラリア軍のど真ん中であ
>り、このため同連隊は大損害を被る結果とな
>った。ハイドリッヒは麾下の残存部隊を指揮
>して損害の軽減に努めるも、当初予定してい
>たカニアとスーダへの前進など到底覚束ない
>状況であった。

降下地点迄詳細に把握されて居たと言う
事かも知れぬが



>兵員の降下がひどく散開してしまった為、

昼間でも風が強かったり
視界が悪いと
正確に降下するのは難しいと言う
事だっただろうか


>グライダー強襲連隊麾下の二つの小部隊がマ
>レメ飛行場を一望の下に収める107高地を占
>領したのである。彼らは重火器も無く弾薬も
>欠乏していだが、マオリ族が主力であったオ
>ーストラリア軍の反撃を朝まで凌ぎきった。
>これがこの作戦の転機となった。

マオリ族等がこんな所で
戦って居た訳だろうか



>午後4時に増援の山岳兵大隊を載せたJu52輸
>送機の編隊が敵の激しい対空砲火を潜り抜け
>て飛行場に着陸した。着陸した機体は英軍の
>執拗な銃砲撃によって次々に破壊されてい
>た。それでもドイツ軍は一本しかない滑走路
>に次の輸送機を着陸させるために、鹵獲した
>敵の戦車を使って破壊された機体を外に押し
>出して増援の到着を受けられるよう奮闘を続
>け、午後5時にはマレメの町は制圧されて飛
>行場が安全に利用できるようになった。

この強硬着陸の際に大半の
JU52が失われたと言う事は無いのかだが
着陸後に撃破されただけであり
着陸は無事出来たのかどうかだが
(JU52では無く使い捨てのグライダーでも
 下ろせば良かったと言う事は
 無いのかだが
 この様な作戦は想定外であり
 輸送機しか無かった訳だろうか)


>クレタ島の英軍守備隊司令官・フライバーグ
>は、上陸侵攻作戦の常道からしても、この空
>挺攻撃作戦は続く海上からの大規模な上陸作
>戦の為の布石に過ぎないと考えていた。しか
>し戦史上、航空輸送だけで海を越えた侵攻作
>戦が行われたのはこれが初めてである事を考
>えれば、それも無理からぬ事であった。彼は
>ドイツ軍の空挺作戦が開始された後も、ドイ
>ツ軍の主力が海上から侵攻して来るに違いな
>。いという固定観念に取り付かれていた。こ
>の為、21日から22日の夜間にかけて「D艦
>隊」がイタリアの輸送船団をギリシャに追い
>返した事で、彼はこの戦いに勝利したと思い
>こんでしまった。しかし彼のこの希望も、ド
>イツ軍がマレメの飛行場に次々と大量の兵員
>を送り込んできた事で無残に打ち砕かれた。

英は主力は海から来ると
思い込んで居た訳だろうか



>一方、英国地中海艦隊司令のカニンガム提督
>もまた、英海軍の損失が余りに大きく、ドイ
>ツ軍の増援・補給の海上輸送阻止の為の戦闘
>を継続してこれ以上の損害を被る事に堪えら
>れない、と判断していた。最終的に英海軍が
>受けた損害は、戦艦2隻がそれぞれ中破と小
>破し、空母1隻が中破、軽巡2隻が沈没、3>隻が損傷して3~8ヵ月の戦列離脱、防空巡
>洋艦1隻が沈没、1隻が中破、2隻が小破し
>て3週間~5ヶ月の戦列離脱、駆逐艦6隻が
>沈没、大破・小破がそれぞれ2隻づつと言う
>目も当てられないものであり、カニンガムを>して、事実上、英海軍がクレタ島を巡る海空
>戦に敗れた事を認めざるを得なくなってい
>た。



>英国海軍はノルウェー沖での海空戦の経
>験を経た後も、水上艦艇が航空攻撃に対して
>如何に脆弱な存在かという事をはっきり理解
>していなかったが、この戦闘で大きな代償を
>払う事で初めてそれを理解させられる事にな
>った。それは「航空戦力の掩護を受けない艦
>隊は、制空権を握っている敵との戦いで生き
>延びる事はできない」と言う苦い教訓であっ
>た。

とは言え独の輸送艦を阻止するだけの
兵力は残っていたと言う
事だろうが
時間を掛ければ独の航空機に
壊滅させられたと言う可能性は
有るかも知れぬが
英艦隊を航空攻撃で壊滅後に
船で上陸と言う事は独側も
航空機が船舶に此れ程有効とは
考えて居なかったと言う事なら
考えて居なかったと言う事だろうか


>27日にカニアが占領され、クレタ島北岸に戦
>車が揚陸されると、英中東方面軍総司令官ウ
>ェーヴェル大将は、クレタ島を維持する事は
>もはや不可能との判断をロンドンに打電し
>た。この後、英軍はクレタ島からの撤収作戦
>を開始するが、第8航空兵団の激しい阻止攻
>撃の下で更に損害を重ねる事になるのであっ
>た。

最終的にはクレタ島周囲の英海軍は機能せず
戦車の揚陸を許して居る訳だろうか


>第4航空軍全体の損害は約350機であった
>が、その内の271機の損害はシュトゥーデ
>ントの兵団のユンカースju52兵員輸送機の
>ものであり、その内半数近くが全損してい
>た。これは対空砲火によるものもあっただ
>ろうが、マレメ飛行場やその西方の海岸に
>強硬着陸した際の損傷が大きく響いてい
>た。特にマレメでは着陸した輸送機3機の
>うち1機という割合で銃砲撃による損傷を
>受け、その総数は80機にも上っていたので
>ある。

海岸に強硬着陸したJU52迄
有った訳だろうか


http://chiharakai2005.at.webry.info/200606/article_5.html
>クレタ島のイギリス本国及び英連邦軍は、
>ギリシアで敗北したイギリス派遣軍の残余
>で構成されていた。これらは、ギリシアで
>ドイツ軍の電撃戦をくらい、今や消耗し、
>組織崩壊し、壊滅状態にあった。彼らは、
>全ての重火器をギリシアで失い、ごくわず
>かな貴重な軽火器を所持するだけだった。
>この軍隊は、相応のライフルにも事欠く有
>様だった。特に砲兵と後方支援部隊は、基
>本的な装備を致命的なまでに失っていた。

>クレタ島のギリシア軍は、イギリス軍より
>さらに悪い状況にあった。正規兵は、エピ
>ルス(アルビニア国境地帯)に海上輸送さ
>れ、そこで4月に捕虜になっていた。クレ
>タ島の兵力は、現地徴募兵とGendarmes
>(警官隊)から成り立っていた。Gendarme
>s は訓練されたグループだったが、軍事教
>練は、ほとんどあるいは全く、受けたこと
>がなかった。ギリシア軍は、武器の不足と
>いうハンディキャップも抱えていた。ライ
>フルを持っている部隊さえ、数回の斉射分
>の弾薬しか、持っていなかった。しかしな
>がら、戦闘の間、一部のギリシア軍は、そ
>の熱狂性やドイツ軍の火器の捕獲によっ
>て、ハンデキャップを克服したのである。

>フレイバーグは、ハニア近郊に司令部を設
>置し、3つの飛行場の全てに、防御部隊を
>派遣した。あるだけの装備が支給され、兵
>力配置は改善された。要塞構築は、工兵装
>備の麻痺的な不足のため、残念ながら放棄
>された。あらゆる物資の不足は深刻で、あ
>りふれたスコップでさえ、欠乏する始末だ
>った。フレイバーグは、使用できる補給も
>武器もないと、訴えた。兵站ネットワーク
>は、めちゃくちゃだった。侵攻第3週の
>「電撃戦」の期間は、一日700トンだっ
>たスーダ港の揚陸能力は、100トンにま
>で落ち込んだ-夜間の陸揚げだけが可能だ
>った。13隻の難破と引き替えに、たった
>15000トンの補給が、スーダ湾に揚陸
>されたにすぎない。

クレタ島の英・ギリシャ軍の装備は
余り良くは無かった訳だろうか


>ギリシア戦役が終了して以来、ルフトバッフ
>ェは、断続的にクレタ島を爆撃していた。イ
>ギリス空軍は、それに損失を与えることはで
>きず、5月19日は全ての行動可能な航空機
>は、クレタ島から撤退していた。その翌日
>に、ドイツ軍の攻撃が始まったのである。

英の航空戦力はクレタ島を支援していたのかだろうし
艦隊も空母が来る迄は
エアカバーも無かったと言う事は
無いのかだが


>ベテランの第22ニュージーランド旅団が、
>戦区の最重要拠点である107高地を放棄す
>るという、不可思議な撤退をしてしまったの
>である。
>ドイツ軍は、第2日目の早朝に攻撃をかける
>まで、107高地とマレーメ飛行場がもぬけ
>の殻になっていることに、気づかなかった。

最低限守るべき飛行場迄空に成って居るとは
どう言う事なのかだろうし
不可解な撤退が無ければ独の損害は
可也増えたと言う事は
無いのかどうかだが


> イギリス軍の失敗は、確かに困窮はしてい
>たものの、単に物資の欠乏によるものだけで
>はなかった。それは最終的には、部隊指揮の
>失策によるものだった。個々に見れば、それ
>ぞれの戦区の指揮官は、持てる兵力と装備を
>活用する上で、恒常的な主導権不足を露呈し
>ていた。イラクリオンでは、現実的にはドイ
>ツ軍の攻撃を打ち負かしていたにもかかわら
>ず、旅団指揮官は防御的な姿勢を続けてい
>た。

装備も劣悪であり
独の正確な戦力も分からなかったから
攻勢に出れなかったと言う事も
有る訳だろうか


>一方で、レティモでは、戦区の司令官は、積
>極的な警戒活動を続けることで、敗退した降
>下兵を精力的に追撃した。彼は、降下猟兵の
>1グループを壊滅させ、残りを狭い地域に押
>し込んだ。これは、島のあちこちで起こった
>出来事だった。

まあしかし監視・威力偵察を大量にやれば
敵戦力等大体分かったと言う事は
無いのかだが


> 第1日目の夕刻に、マレーメでは、第22
>ニュージーランド大隊が、旅団司令部との連
>絡途絶から、分断されたものと判断してい
>た。午後の反撃は失敗し、近隣の大隊から約
>束された支援は、実現されなかった。他の戦
>線からの情報途絶や大隊の戦意の低下、前線
>からの圧力によって、大隊は、マレーメ飛行
>場の防衛に欠かせない107高地からの撤退
>を発令したのである。

此れがニュージーランド大隊撤退の
原因だった訳だろうか


> 失敗の最大の要因は、旅団司令部にある。
>戦闘部隊は、飛行場の守備ではなく、海岸の
>防衛に回されていた。最も重要なマレーメ飛
>行場は、防衛の中心ではなく、旅団の周辺防
>御陣の一端でしかなかった。

海上からの上陸が主だと
考えたのも英の敗因と言う事かも知れぬし
主力が空から来ると言う情報迄は
英は掴んで居なかった訳だろうか


>第22大隊の近くには、装甲車輛や対空砲、
>海岸砲台、イギリス空軍の兵員が存在してい
>た。これらの兵力は、大隊指揮官の指揮下に
>はなかった。早朝の空挺攻撃の後、第22大
>隊を除き、戦区の部隊はほとんど敵に遭遇し
>なかったが、これらは、なにも行動を起こさ
>なかったのである。もし、旅団司令官が、第
>22大隊が重要な地点を保持しており、そし
>て、頑強に抵抗している、と判断していた
>ら、第1日目の夜間撤退は、なかったかも知
>れない。さらに、増援の計画が明確に伝達さ
>れていたら、飛行場の防衛は安泰であったろ
>う。


第22大隊を上手く支援していれば
独も空挺部隊でクレタ島を攻略する事は
無理だったと言う事なのか
どうかだが
仮に失敗した場合は
英艦隊を空から壊滅してから
海上から攻略と言う様な形に
成った可能性も有るかも知れぬし
ルーマニア油田を爆撃出来るクレタ島を
占領せぬ侭ロシアへ侵攻する事は
無かった訳だろうか


>イギリス軍の一番の錯誤は、ドイツ軍の航空
>輸送は飛行場でなくともどこでも行える、と
>考えていたことであろう。

故に飛行場の防御が軽視されて居たと言う
事かも知れぬし
グライダーも余り数は無く
パラシュート降下された物資と言うのも
此れは空挺部隊の様に正確には降下出来ぬ訳なら
確保は難しいと言う事かも知れぬが


>加えて、全地区で実施された空挺降下は、実
>際以上に、大規模な攻撃が行われた、との印
>象を与えた。主攻勢軸は、容易に見分けるこ
>とができなかった。

独も囮として全地区に少数の兵を降下は
させて居たと言う
事なのだろうか
(或いはアルデンヌの時の様に
 風が強くて降下地点を
 外れたと言う事では
 無いのかどうかだが)


>海上からの侵攻は、不明だった。この件につ
>いて、連合軍の諜報網は、ほとんどの情報を
>捉えていた。フレイバーグ将軍は、ドイツ軍
>の海上兵力は5月17日に行動開始ができる
>だろう、という情報を得ていた。侵攻の主力
>は海上兵力である、という見解から、度重な
>る警報が出された。1年以上にわたる、ドイ
>ツ軍によるイギリス本土への海上侵攻の警戒
>が、イギリス軍に予断を生じさせていた。こ
>の侵攻に備えて、兵力は海岸部に展開され
>た。イギリス軍の兵力配置と予測情報が、本
>当の突撃兵力に対する防衛計画を、実際に
>は、阻害したのである。

海上兵力が5月17日に行動開始出来ると言う
情報は掴んで居たが
海上からの上陸が主と成るか否か迄は
掴んで居なかったと言う
事だろうか



>イギリス軍が多くの問題を抱えていたにもか
>かわらず、ドイツ軍は危うく敗北するところ
>だった。5月21日の黎明に、107高地に
>突撃した部隊は、大損害を出し、消耗し、ギ
>リギリの状況にあった。もし、イギリス軍が
>撤退しなかったならば、ドイツ軍を挫折させ
>る最大のチャンスがきたであろう。マレーメ
>の失敗は、クレタ島における、ドイツ軍空挺
>攻撃の完全な崩壊を、意味したに違いない。

矢張りマレーメ飛行場が
早期に制圧出来ねば
新たに投入出来る空挺部隊も無い訳なら
作戦は失敗して居たのか
どうかだが


>ドイツ軍のもっとも大きな問題は、欠陥情報
>によるものであった。連合軍の将兵は、実際
>には、ドイツ軍の見積もりの3倍以上に達し
>ていたのである。

兵数は3倍居たかも知れぬが
装備は余り良くは無い訳だろうし
現実には見積もった程度の戦力だったと言う事は
無いのかだが
相手の装備が悪い事を独軍は
把握して居たのかどうかだが


>連合軍の配備情報の不足と相まって、この考
>えが、敵の真上に空挺兵を降下させることに
>なった。この計画を最終的に救ったのは、攻
>撃箇所を当初の7つから4つに減少させた、
>彼の上司の保守主義にあった。

英軍の配置は独は
把握して居なかったと言う事だろうし
少数兵力が相手なら分散して降下した方が
(後で兵力を移動する必要も無いなら)
早期に制圧出来ると考えたと言う事かも知れぬし
空挺部隊を更に分散して居たら
独軍は敗れていたと言う事は無いのかだが


>ロシア戦線ならば、装甲部隊の縦深突破に連
>動した空挺作戦は、あのおそろしい41年の
>冬の前に、ドイツ軍にモスクワを獲らせたか
>も知れない。しかし、クレタ島の損害故に、
>ドイツ軍の参謀本部には、いかなる空挺攻撃
>もありえなかったのである。

独空挺部隊も
クレタ島で大損害を受けなければ
モスクワを空挺降下で
制圧出来たのかどうかだが
スターリングラード等では
役に立たなかったのかどうかだが