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毛利水軍の焙烙火矢で信長の九鬼水軍が敗れたと言うが 

文禄慶長の役で
朝鮮水軍に対して焙烙火矢は利用されなかったのかだろうし
板屋船には鉄甲は無く
亀甲船も側面には鉄甲は無い訳だろうから
九鬼水軍の様に後期には燃やされて敗れたと言う可能性も
有る訳だろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%81%AB%E8%96%AC
ビザンチンのギリシャ火薬でイスラム艦隊が
やられているから
火炎攻撃は厄介だったと言う事は無いのかだが
焙烙火矢はギリシャ火薬程の威力は
有ったのかどうかだが


http://209.85.175.104/search?q=cache:RFuv1UrEEHoJ:hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158480765/1-100+%E3%80%90%E6%B5%B7%E8%B3%8A%E3%80%91%E3%80%80%E6%B0%B4%E8%BB%8D%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%80%80%E3%80%90%E5%AE%89%E5%AE%85%E8%88%B9%E3%80%91&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp&lr=lang_ja
>確かに仰るとおりですが、大安宅の船首に搭載された三
>門の一貫目大筒よりも、側舷の大鉄砲によるが集中射
>撃が
>効果的であったものと考えます。信長公記にも「大鉄砲
>を一度に撃ち、敵船を打ち崩した」とある。
>鉄砲の集中運用は75年の長篠で、大鉄砲の破壊力は7
>6年の長島願証寺で既に実証済みですから織田水軍が
>それを
>78年の木津川で応用したとしても何の不思議はありません。

大鉄砲と言うのは板屋船の板は
打ち抜けたのかどうかだが
精度は固定式では無いから
大砲よりは高い訳だろうか
大鉄砲等鉄甲船が出る前にも投入されているだろうから
此れだけで焙烙火矢を装備した艦隊には勝てたのかだろうし
焙烙火矢を防御出来る装甲が無ければ
やられていたと言う可能性も有るだろうし
完全な防火装甲の無い板屋船や亀甲船では
大砲が有ろうと焙烙火矢でやられていたと言う可能性も
有る訳だろうか

板屋船・亀甲船も大鉄砲で遠距離からダメージを受けた後
焙烙火矢で燃やされたと言う可能性も
有る訳だろうか

コメント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%99%E7%83%99%E7%81%AB%E7%9F%A2
>焙烙玉を火縄銃の30匁筒など、大筒に詰めて放ち、標的に当たると焙烙が割れ、そこで爆発、燃え広がるなどして周囲の敵や建物や船の木造部分を攻撃する、現代でいう焼夷弾に似た兵器。

>焙烙玉とは、料理器具である焙烙、ないしはそれに似た陶器に火薬と燻った火を仕込んだもの。
>手で直接投げたり縄を付けて遠心力で投げたりする手榴弾の様な物。
>これらの兵器に対抗する為に織田信長が九鬼嘉隆に命じて鉄甲船を開発させた。

>また、黒色火薬の火力を推進力として利用した原始的なロケットのような兵器を指して言う場合もあり、
>その中には標的に着弾した時に焼き払ったり爆発するように燃焼物や火薬を仕込むものもあった。
>こうした兵器は、おそらくは中国の神火飛鴉などの同様のロケット型の兵器を糸口にして作成されたと考えられる。

矢に焼夷弾を装備したり
大筒に詰めるタイプの物は
大砲の射程外から相手を燃やせたと言う事は
無いのかだが

信長の鉄甲船の大鉄砲と言うのも
通常の弾では無く
焙烙玉を発射して居たと言う事は
無いのかどうかだが
毛利水軍の焙烙火矢でやられる前は
使って居なかったと言う事かも知れぬが


板屋船や亀甲船も
大砲の射程外から
焙烙火矢を受けて炎上して居たと言う事は無いのかどうかだが

毛利水軍は未だ鉄甲船の無い九鬼水軍に対して
白兵戦等したのかだろうし
焙烙火矢のみで勝ったと言う事は
無いのかどうかだが
焙烙火矢のみで勝ったと言う事は
可也威力は有ると言う事なのかどうかだが
焙烙玉を発射した大筒や火矢だけで勝てたのかだろうし
近距離で焙烙玉を投げたと言う事は無いのか
どうかだが


日本の水軍は白兵戦主体等と言うが
焙烙火矢を使っていた段階では
白兵戦等考慮して居たのかだろうし
水軍も海賊では無いのだから
燃えている相手の船に乗り込む事等
考えたのかどうかだが

http://surplus.at.webry.info/200802/article_9.html
村上水軍は大型の安宅船は利用しなかったと言うが
焙烙火矢の遠距離からの命中を恐れて
小型艦しか使用しなかったと言う事は
無いのかどうかだが
(鉄甲の無い信長軍の安宅船は容易に焙烙火矢の標的と成り
 やられたと言う事かも知れぬが)

30匁筒の25mmの口径の焼夷弾を多数受けても
船が燃えるのかと言う事は有るだろうし
火矢は落とされていたと言う記述も有るから
船を燃やすには焙烙玉が必要だったと言う可能性は
無いのかどうかだが

100匁筒なら口径40mmだろうが
此れは数は有ったのかどうかだが

http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/wasen/p0673024.jpg
関船も側面の6つの銃眼から
焙烙玉を放てる大筒を利用し
上甲板からは火矢や焙烙玉を利用したと言う事かも知れぬが
1分間に片舷3発程度しか
大筒は発射出来なかったと言う事かも知れぬが
(まあしかし30匁筒なら早合を使って
 射手と装填手を分ければ
 30秒に一発程度は撃てないのか
 どうかだが)

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