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2019.08

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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析PartⅥ 

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1208168005
>日本がフィリピンを攻撃していたら、日本とスペインで戦
>争になったかも。
>果たしてどちらが勝つかな?

平底で竜骨も無い日本船の外洋航行能力に問題が有るから
フィリピン攻略は無理と言う意見も有るだろうが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF_(%E8%88%B9)
>船体中央を支える構造材である竜骨(キール)が無く、船体が多数の水密隔壁で区切られている。

>400総トン程度で耐波性に優れた大型の外洋航行用のものもある。

ジャンク船も竜骨は無いが
外洋航行能力は無いのかどうかだが
日本船も同様に水密隔壁が有るから竜骨等無く共
構造は強固だったと言う事は無いのかだが


朱印船もフィリピン迄行っていた訳だろうが
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse023.html
>これを裏付けるように、朱印船に雇われて渡航した朝鮮
>人が「日本船は小さくて大洋を航海できないので、180人
>乗りのジャンクを買い入れ、中国人の船長を雇って航海
>した」と述べている。

平底の船でも大型艦なら
フィリピン迄は行けなかったのかどうかだが


> 朱印船の積載量は、小さいもので薩摩の島津氏が福
>州で購入した12万斤(きん)積(480石、載貨重量72トン)
>から、因幡の亀井氏がシャムから購入した80万斤(きん)
>積(3200石、載貨重量480トン)までかなりの差があっ
>た。

積載量72トン程度の物でも
外洋航行能力は有ったのかどうかだが


>現在、10点ほどの朱印船の絵が残されているが、こうし
>たものを見ても「日本前(にほんまえ)」、あるいは「朱印
>前」と呼ばれた朱印船は、みな中国式のジャンクをベー
>スとして、これに西欧のガレオン船の技術を取り入れ、そ
>れに日本の伝統的技術を加えた折衷形式の船であるこ
>とがわかる。これらは中国やシャムなどで購入された
>が、一部、日本でも造られた。1617年(元和3)、平戸藩
>の重臣佐川信利が平戸で建造したのはその一例であ
>る。

http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_02/t/3/wasen/data/B86151.html
此れは上を見る限り平底では無いだろうが
水密隔壁は有るのかどうかだが


http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse023.html
>朱印船とは、「異国渡海朱印状」という渡航証明書を持つ船で、安南(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)、ルソン(フィリピン)など東南アジア諸国との貿易を許可された船をいうが、
>1604年(慶長9)以後の32年間で356艘を数え、年平均11艘が従事した。船主には西南大名、幕吏、内外の豪商たちがいた。

朱印船は11隻しか無かったと言う事では
無い訳だろうが

http://www.geocities.jp/hatm3jp/052.html
>・朱印船はかなり大きい。普通は長さ36メートル、幅10メ
>ートルの300トンくらいのものが多かった。千石船は100ト
>ン積み。
>・台湾まで15日、ルソンへ20日、トンキンへ30日かかる。


http://www.geocities.jp/archelon_trade/history/history-ships.html
>サンマルティン
>国籍 スペイン進水 1567年/全長 37.3m/全幅 9.3m/排水量 1000t/

西欧のガレオン船も朱印船と全長は大差無いが
積載量に差が有ったと言う事は無いのかだが



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E5%8F%B7
西欧式の船も建造されている訳だろうが
1613以前にもこの様な帆船は
建造可能と言う事かも知れぬし
此れは下手な軍艦より巨大な船だろうが

http://www.teamrenzan.com/archives/writer/tachibana/post_238.html
>江戸湾に係留されていたリーフデ号が沈没すると、船大工としての経験を買われて西洋式の帆船を建造することを要請される。
>伊東の造船所で80トンの帆船を建造(1604年完成)した。次いで120トンの帆船を建造(1607年完成)した。この船は1610年、
>房総の御宿海岸で遭難し地元民に救助された前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロに家康から貸し出され、サン・ブエナ・ベントゥーラ号と名付けられ、イスパニアとの交流を深める要因となった。

この前にも2隻の帆船が建造されている訳だろうから
その気に成れば大量に建造出来た可能性は
有る訳だろうし
この際に大砲も大量に導入出来た可能性は有る訳だろうが
西欧の船には無いと言う水密隔壁等を追加した可能性も
有ったのかどうかだが


当時の大砲と言うのは
アルマダ海戦を見れば分かる様に
余り役に立たなかったと言うし
トラファルガーでさえ白兵戦で決着していると言う事かも知れぬが
西欧軍の白兵戦能力はどうなのかだが

http://www001.upp.so-net.ne.jp/a-sasano/galley.htm
>Andrea Michelli (別名Andrea Vicentino)の描く "La Battaglia di Lepanto"の中央に朱色のガレー船が描かれている3),6)。

上の16世紀末ー17世紀初頭に描かれた
レパントの絵の詳細は

http://www.art-prints-on-demand.com
上でLepantoで検索すれば出て来るだろうが

AKG9IT-1571-10-7-A1-2-1で検索して出て来る絵の
左下には
ツヴァイハンダー或いはバスタードソード
短槍或いはハルバードの様な物を持つ西欧兵が描かれて居るが
長いパイクは無い訳だろうか

盾はこの時点でも何故か
用いられている訳だろうが
海戦で盾は何時頃迄使われたのかどうかだが


http://www.zdrbs.com/japanese/picture/11.html
倭寇図巻に有る様な
上の様な槍を日本側は海戦で多用したと言う事は無いのかだが
3m以上は有る訳だろうし
此れで西欧軍の短槍・ハルバード・剣がやられたと言う可能性は無いのかだが
ツヴァイハンダーで槍が折られたと言う可能性は有るかも知れぬが
野太刀や長巻等で此れに対抗は出来なかったのかどうかだが

16世紀末では日本の足軽は甲冑は無いかも知れぬが
ハーフアーマーを装備した歩兵は西欧には可也居たと言う事かも知れぬが
此れも長槍の攻撃でやられたと言う可能性は無いのか
どうかだが
ツヴァイハンダーを装備した装甲歩兵はどう排除するのかだが
野太刀を持つ騎馬武者で対抗出来たのかどうかだが
ツヴァイハンダーを持った兵を排除した後
長槍で残りの兵は叩くと言う事は可能だったかも知れぬが

刀での乱戦に持ち込まれても
日本側の両手持ちの打刀にカトラスやサーベルで対抗出来たのかだろうし
至近距離での戦いでも脇差や短刀が
有る訳だろうか


西欧軍の近接戦用のピストルと言うのは
厄介だったと言う事は無いのかだが
騎兵以外は此れは持っていたのかどうかだが
重騎兵の3クォーターアーマーも足を槍等で狙えば
倒せたのかどうかだが
3クォーターアーマーと言うのも
銃弾に対抗し胸甲を厚くした影響で
40kg程度有っただろうから
此れで長時間戦闘は可能なのか
どうかだろうし
此れを装備した重騎兵等
スペインには何割居たのかだが


http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-915146-23-5p.html
>パイクとはちがった使い方をする武器ですが、形状が似ているために「ハーフ・パイク」と呼ばれるものがあります。2mくらいの柄に比較的小さい鉾先がついており、17世紀中頃、船上での戦闘に便利なため「ボーディング・パイク」などと呼ばれて使用されました。
>ハーフ・パイクはフランスでは「エスポントン(esponton)」、イギリスでは「スポントゥーン(spontoon)」と呼ばれ、士官が部隊の指揮をとるのに使われました。

欧州でも海戦で短槍は利用されている様だが
17世紀中盤以降からと言う事は無いのかだが
アジアでの海戦で槍を使う日本の傭兵や中国兵等に
苦戦したから
パイクを導入したと言う事は無いのか
どうかだが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%AD
剣と盾を持つロデレロは
整列したテルシオのパイク兵には勝てないと言うが
船上で槍を構えた兵は
テルシオのパイク兵の様に
後列の槍が前に出ているのかだろうし
此れに対してはロデレロの方が
有利だったと言う事は無いのかどうかだが
短槍であるボーディングパイクと言うのも後で出ている訳だろうし
此れは後列の槍は前に出ない訳だろうから
ロデレロは此れにも勝てなかったと言う事は無いのか
どうかだが


http://www001.upp.so-net.ne.jp/a-sasano/galleyphoto.htm
こんな大砲を小型船が受けたら
どう成るのかと言う事は有るだろうが
何処迄当たっていたのかどうかだが


http://www001.upp.so-net.ne.jp/a-sasano/galley.htm
>参考文献2のp87にある記述によれば、先端のいわゆる「衝角」は、本当は衝突して敵船を沈めるものではなく、体当たりして敵船に乗り込むための橋の役割を果たすものだとのこと。

とは言え小型艦なら
沈められたと言う事は無いのかどうかだが
何処迄当たったのかと言う事だが

コメント

鄭和の艦隊はアフリカにまで行っていますし、明が海禁政策をとり、海商をいわば外注に出す形で琉球王国に一任し、中古ジャンクを提供すると、琉球王国はルソンやアユタヤはおろか、マラッカ、パレンバン、果てはスンダ・カラパ(現在のジャカルタ)まで交易していましたから、ジャンク船を使う分には外洋航行能力にはなんら問題はないと思われます。
ですので、上で書かれたようにチャーターしてしつつ、折衷方式でもなんでも造船能力を高めていけば、その辺の問題はクリアできるのではないかと思います。
なお、あまり知られていないことですが琉球は、明の海禁政策でジャンクを提供される以前、或いは琉球王国の官船以外は、一般的な和船タイプが主だったり、武装もほとんど日本の武士と変わらなかったようですね。銃砲の導入が日本より1世紀ばかり早かったそうですが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3
>16世紀、ガレオン船は平均1700~200
>0トンで、フィリピンの木材で建造さ
>れ、1000人の乗客を運ぶことができ
>た。1368年に沈んだコンセプション
>号は全長43~49m(140~160フィー
>ト)で、排水量2000トンだった。

スペインーフィリピン間の太平洋を横断する為のマニラ・ガレオンなら
2000トン等の
可也巨大な物も有ったと言う事だろうが
16世紀の軍艦にはこのサイズの物は
無い訳だろうか

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