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ピストルには果たして戦術的価値は無かったのかどうかだが 

重装槍騎兵を駆逐したのはピストル騎兵だろうし
船上の乱戦時にも単発のピストルは
役に立った訳だろうし
塹壕戦でもSMGの少ないWW1では
ルガー等のオートのピストルは
役に立ったと言う事だっただろうか

後装式ライフルが出ていた時代でも
単発式のライフルなら
騎兵が拳銃で近接戦をやったと言う可能性は有る訳だろうし
南北戦争の塹壕戦ではピストルは利用されなかったのかだろうし
弾倉装備の連発式ライフルが出た後でも
塹壕戦や船上での戦闘では拳銃は
利用されて居た訳だろうか


近世の砲兵も自衛用にピストルを持って居たと言うが
此れは何処迄利用されたのかだが
塹壕にでも入っていなければライフルには
対抗出来なかった訳だろうか



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B8%E9%80%8F%E6%88%A6%E8%A1%93
>しかし、この浸透戦術は歩兵の戦術として強
>く生き続けた。列強各国は初等教育の普及を
>背景にこの戦術を自国に取り込み、最も成功
>した国が日本であった。

SMGも無いのに
浸透戦術等上手く行ったのかどうかだが
中国軍相手なら問題無かったのかどうかだが


http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3168998.html?ans_count_asc=2
>各兵科の下士官は一般に拳銃と軍刀(いずれ
>も支給品)で武装していたわけですね。

日本軍も下士官はピストルを持って居たと言うから
塹壕突破時や市街戦の近接戦時に
此れは使えたのかどうかだが


>軽機関銃射手も必要によって拳銃支給。

等と有るが
此れは塹壕戦で利用されたのかどうかだが

http://ww1.m78.com/topix-2/infiltration%20tactics.html

>第1次大戦が終了すると、フランスはいち早く歩兵操典
>を改め、特定の歩兵部隊を10名前後の分隊での行動
>が可能となるよう改めた。

>しかしこの方法を最も徹底的に取り入れたのは帝国陸
>軍だった。歩兵操典を改め傘型分隊攻撃法を歩兵戦術
>の中心とした。これは分隊を傘の形で構成し、頂点を軽
>機関銃または歩兵砲(水平射撃が可能な迫撃砲:対戦
>車砲を兼ねた)の射手・補助兵が占め、突撃兵は着剣し
>て控え、前進するときは頂点を超越する。

浸透戦術を行う突撃部隊にも
軽機関銃手は一応居る訳だろうが
彼等は拳銃で近接戦等
行ったのかどうかだが

歩兵砲射手も拳銃は携帯しているだろうが
彼等は流石に塹壕内で近接戦等は
行わなかった訳だろうか


http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/smg/sten.htm
>またドイツ軍は機甲師団だけではなく兵士装備としてもM
>P38/40サブマシンガンを下士官全てに装備させ、その火
>力をもって機動性に富む戦術を行いボルトアクションし
>か装備していなかったイギリス・フランス連合軍を翻弄し
>た。

WW2の独軍の場合は基本的に下士官は全て
SMGを装備していた訳だろうか


http://www.warbirds.jp/ansq/41/D2001358.html
>初期の米軍の一般的な歩兵分隊は分隊長、副分隊長
>がM1A1トンプソンを、支援火器としてBARが1名、残りは
>M1ガーランドを装備した9名の計12名で編成されていま
>した。当初M1カービンは二線部隊用の装備とされていた
>のですが、短機関銃の長距離での威力不足を補える銃
>としてトンプソンに代わっていきました。

米の下士官の場合は
後期には
SMGでは無くM1カービンを利用していた様だが
近接戦ではどうだったのかだが
(下士官は後方からの援護が大半だったから
 SMGでは無くM1を利用したのかどうかだが)

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>中国軍相手なら問題無かったのかどうかだが

思うに、WW2までの民国軍、清国軍というのは、本当の意味で国民軍ではなかったというのが大きいような気がします。

同じ時期の、ソ連軍やドイツ軍、あるいはフランス軍など相手でもかなり厳しかったのではないかと、後知恵ではありますが、愚考いたします。

中国軍にSMGが大量配備されていたとは
思えないし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B8%E9%80%8F%E6%88%A6%E8%A1%93
>日本軍は兵力的に劣勢にもかかわら
>ずその防御陣地を各所で突破した。
>これにより国民党軍の戦線は崩壊
>し、我先にと南京へ敗走した。蒋介
>石も日本軍が南京に迫るとあわてて
>南京を脱出している。

>このとき陸軍首脳は追撃停止を命令
>したが、現地は独断専行により進
>撃、南京に迫った。

指揮官がこの様では
中国軍の士気は高かったのかだろうし
日本軍の士気は逆に高かったと言う事かも
知れぬが

http://ww1.m78.com/topix-2/%82%94%82%88%82%85%20battle%20of%20shanghai.html
>これを読めば国府軍の士気が低いた
>め壊乱に陥ったとの説は成り立たな
>いことがわかるだろう。国府軍が軍
>閥の寄せ集めで兵士は全く士気がな
>かったと言う説はいまだに日本国内
>で強い。しかしこれは繰り返すが謬
>説だ。

士気は高かったが
浸透戦術に対して対抗する戦術は
余り訓練されていなかったと言う事は無いのか
どうかだが

http://ww1.m78.com/topix-2/%82%94%82%88%82%85%20battle%20of%20shanghai.html
>国府軍の陣地構築はドイツ式なため
>縦深性が浅く、また総戦略予備隊は
>南京にあったが、交通線が悪くまた
>鉄道は揚子江沿いにあるなど内線が
>防衛上の観点で設計されていなかっ
>た。結局最後まで日本軍の前進のス
>ピードが優っており国府軍の戦略予
>備隊は効果的に到着できなかった。
>上海攻囲軍の少数の精鋭師団は自動
>車化されていたが、道が悪く上海=
>南京間300kmを20時間要した
>という。

>また制空権の優位により国府軍の動
>きは適切に把握されていた。日本軍
>の攻撃方法は極めて特異で準備射撃
>は後方の物資のデポおよび敵兵の密
>集地点しか実施しなかった。また砲
>撃は突撃隊が目標とする前面の敵へ
>の砲撃から開始し徐々に前進させ
>た。このため逃げる敵兵は常に頭上
>に爆弾が炸裂している錯覚に陥っ
>た。そして敵兵にとり攻撃開始と思
>う瞬間には浸透されているという奇
>襲効果をあげた。

>上海前面だけで戦死者は8万人を越えると言われ
>る。(国民党政府は後で上海攻囲軍の戦死25万人
>と発表)これは撤退が徒歩で行われ、捕捉されたた
>めだ。撤退方法について事前に考慮されていなかっ
>たのだろう。この数字は全滅を意味する。

>国府軍の作戦とすれば前線部隊の戦闘序列をその
>まま半分に分け、1隊をローカルの予備とし、縦深性
>を増し攻勢防御で臨むべきだった。国府軍は南京=
>上海間に75万人53個師を集中したが、総じて打撃
>兵力に力点が置かれ、交通線の維持のための兵力
>に力をさけなかった。また師(団)編制が世界標準と
>あまりにも異なり、補充兵がしばしば独自行動に陥
>るなど兵力の運用に欠陥があった。また砲兵や輜重
>兵・通信兵・工兵・衛生兵・斥候部隊などが師に属さ
>ず、本部直轄とされたため、兵站・特殊軍事行動(架
>橋など)に欠陥を露呈した。

>打撃兵力より場合によると輜重兵の方に訓練が必
>要で、とくに砲弾や砲の輸送には専門知識が必要と
>される。国府軍の師(団)の充足人員が1万人を切っ
>ているのは、これら専門兵を欠いていたためである。
>これは共産軍も同じで朝鮮動乱時前線まで辿りつけ
>た兵員は1個師団3000人を切るなど師団単位での
>運動性に欠陥を露呈した。

ゼークトラインと言うのも
浸透を食い止める為の縦深も無く
撤退路も確保されず
補給面にも問題が有ったと言う
事だろうか

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