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2018.12

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馬上での剣の扱いに関しては 

西欧の剣は太刀やシミターの様に湾曲していないから
敵騎兵に対して馬上ですれ違い様に剣で斬ると言う事は無いと言う事かも知れぬし
互いに乗馬突撃している場合
敵の馬に対しての相対速度は50km程度は有るだろうから
この様な速度で斬り付けた場合は
直刀は保つのかどうかだが
ファルシオンなら保つ可能性も或いは
有るのかどうかだが
ファルシオンは少数なら
剣は止まっての打ち合いと言うのが
多かったと言う事かも知れぬし
アラブやモンゴル等の曲刀を持っている騎兵に
すれ違い様に切り込まれたら
対応出来たのかどうかだが
この様な敵に対しては
密集して槍で迎撃と言うのが基本である訳だろうか
(散開している状況で
 騎士が剣の場合でも騎士側は速度を落としているなら
 直刀でも迎撃は出来たかも知れぬが
 こう言う攻撃には慣れて居ないなら
 やられていた可能性も有る訳だろうか)


騎馬武者も互いに全力疾走してすれ違い様に大太刀を両手で持って
敵の騎馬武者を斬ると言う様な技は
有り得たのかどうかだが
モンゴルの様な盾を持つ騎兵に対しては何処迄有効だったのかどうかだが
大太刀では盾を構えても馬上でのすれ違い様に受けては
可也ダメージは受けるかも知れぬが
太刀では両手持ちでもどうなのかだが


漫画等の様に単騎で太刀を持ち
敵の騎馬武者や歩兵に対して乗馬突撃して
擦れ違い様に何人も切り伏せる等と言う事は
南北朝時代迄なら有り得たのかどうかだが
10人等は可能だったのかだが
太刀や長刀では兎も角
槍で擦れ違い様に何人も倒すというのは
難しいと言う事は無いのかだが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F%E5%AE%97%E7%9F%A9
>慶長20年(1615年)の大坂の役では将軍秀忠のもとで従
>軍、秀忠の元に迫った豊臣方7人を斬り捨てている。

柳生宗矩が豊臣方7人を斬り捨てていると言うが
此れは徒歩なのか騎乗してなのか
剣でなのか槍でなのかだろうし
短時間での物なのかだが
(本多忠勝も一回の戦闘で10人程度は倒して居ただろうが
 此れは徒歩なのだろうか)


密集して槍を持つ騎士に対しては
こんな真似は無理である訳だろうが
モンゴルの兵に対してはどうだったのかだが
槍で馬をやられていた例も
多いのかどうかだが
長刀であれば槍に対しても
ある程度は応戦出来
擦れ違い様に多数切り伏せると言う事も
可能なのかどうかだが
敵が密集していれば無理だろうか


http://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.yagyu.html
>道案内を務める。夏の陣の天王寺・岡山の戦いで、秀忠
>本陣が崩れたった際には、来襲した朱槍の精鋭部隊を
>率いる木村主計(重成の一族)ら7人を続けざまに秀忠
>の馬前で斬って警固する活躍を見せる。戦後は佐野道
>可・坂崎直盛の究明にもあたる。

此れを見る限り
可也短時間で倒していると言う事だろうが
槍に剣で対抗したのかどうかだが
長刀で擦れ違い様に連続で切り伏せたと言う可能性も
有る訳だろうか
(他の兵が足止めしている内に
 駈け抜けながら長刀で短時間で切り伏せたか
 他の兵が戦っている状況で支援を
 上手く行ったて倒したと言う可能性も有る訳だろうか)


金棒や大長刀・長巻・大型の大太刀等の余り重い武器は
騎馬武者は乗馬しては
機動力を損ねるので利用しなかったと言う可能性も
有る訳だろうか

コメント

馬上ですれ違い様に
騎馬武者を長い金砕棒で殴ると言う様な事は有り得たのかどうかだが
此れは長い槍でアウトレンジでもしないと
中々回避し難い攻撃と言う事は
無いのかだが
馬上槍同様の3m程度の金砕棒も有る訳だろうか


薙刀や大身槍・金砕棒なら
騎槍と同等の長さが有る訳だろうし
恐らく槍にも対抗可能だろうが
馬上で振るう事は南北朝以降は有ったのかどうかだが
掛矢や大鉞は2mも無い訳だろうが
熊手は騎槍程度の物も有ったのかどうかだが
大太刀で2-3mの物なら騎槍にも対抗出来たのかだが
此処迄の物は何処迄使われたのかどうかだが


http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=11&nid=343224
>▲ 大太刀(吉備津丸)  長船法光作  1447年
>(銘) 備州長船法光生年三十三/文安二二年八月日/薬師寺弥五郎久用生年廿一歳
>刃長: 7尺4寸8分(227cm)  全長: 1丈2尺4寸6分(378cm)

>在地武士の薬師寺弥五郎久用により,吉備津神社に奉納されたもの。
>刀身にしっかりと焼き入れが施されていることや,茎が刀身に合わせて長くつくられていることから,実戦刀と考えられている。

此れは騎槍にも対抗可能な長さだろうが
15世紀の物で余り曲がっていない所を見ると
馬上用なのかだが


http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/_op_photo/070715nagoya/index.html
>宝物館入り口に展示されていた真柄太刀。太郎太刀とも言われます。刃長221.5cm、重さ・刀身約4.5kgだそうです。

刃長2m・全長3m程度で4.5kg程度なら
騎槍に対抗可能な長さの大太刀は
体力が有れば扱えなくは無い訳だろうし
同程度の長さの金砕棒や大薙刀の方が重いだろうが
耐久性はどうなのかだが


熊手を馬上で振るっている絵も有るが
短い物が多いし
騎槍に対抗可能な3m前後の物は
有ったのかどうかだが

薙鎌と言うのも有るが
此れは歩兵用の武器なのかどうかだが


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119627611?fr=rcmd_chie_detail
>「むさし坊はわざと弓矢をばもたざりけり。四尺二寸(約130cm)ありけるつかしょうぞくの太刀はいて、岩とおしという刀をさし、
>いの目ほりたるまさかり、ないかま(薙鎌)、くま手、船にがらりひしりと取り入れて、身をはなさず持ちける物は、いちいの木の棒の一丈二尺(約360cm)有りけるに、くろがねふせて上にひる卷きしたるに、
>石づきしたるを脇にはさみて...。」となっている

弁慶も薙鎌を持って居たと言うから
此れは果たして歩兵専用なのか
どうかだが

騎馬武者がすれ違い様に
敵の騎馬武者を薙鎌や鉤槍等で引っ掛けて落馬させると言うのは
有り得たのかどうかだが
熊手では引っ掛かり過ぎて
厄介と言う事は無いのかだが
(鉞等でも可能だろうが
 長さが無いので騎槍に対抗は
 可能だったのかどうかだが)

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