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文禄・慶長の役で明の騎兵に日本軍はどう対抗したか 

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1188374643/
>うーん、朝鮮出兵で明の騎馬隊と交戦した時は酷く苦戦
>したという話をどこかで見たような……

日本刀で馬を倒したと言う記述も多いから
西欧の様に密集した槍隊形で騎兵を迎撃したのでは無く
散開した備の槍足軽の中に
騎兵が突入して乱戦に成った後で
日本刀を用いて馬を倒したと言う
事かも知れぬし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
備も散開しているとは言え
300-1500人の方陣であるから
此れを駆け抜ける前に日本刀で馬をやられると言う事は
十分有り得る訳だろうし
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/min.htm
>一方、唐代から馬鎧は廃れ、南北朝時代のように10貫以上の重量の鎧で馬を覆って機動力を落とすようなことは無くなった。

当時の明の騎兵の馬に装甲は
無かった訳だろうか


明の騎兵の馬も日本やモンゴルの馬と同様の
小型の馬であり
西欧の騎士の様に槍に馬の体重は乗らないから
衝撃力は低く
突入を受けても即壊走すると言う事は
無かったと言う事かも知れぬし
散開していれば衝撃力をまともに受ける事も
無い訳だろうか


散開した備の機動力を考えれば
騎兵に突入された後に
援軍が来るのも速いと言う事かも知れぬし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%A7%E8%B9%84%E9%A4%A8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
碧蹄館での包囲成功と言うのも
備の機動力が有っての物と言う事は
無いのかだが
地形や野戦築城で騎兵を防いだと言う例も
有るのかどうかだが


日本軍同士の合戦でも
兵が散開しているなら
乱戦に陥るケースは多かったかも知れぬし
日本刀や脇差・短刀は
以外に重要だったと言う事は無いのかだが

まあしかし散開した最前列が敵に襲撃されている状況なら
後列が間から前に出て援護と言う事は有るかも知れぬし
結果的に密集すると言う可能性は有ると言う事かも知れぬが
乱戦に陥る事も多かったのかどうかだが


http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021025b.html
>では下馬した戦士たちはどのように戦ったのだろう。これに関しては、①の「切っさきをそろゑて」や、④の「鑓長刀を差合て、透もなく」と「すきもなく、鑓長刀にて支えつつ」といった記述から見て、
>下馬した騎馬武者は、密集し集団として戦ったと考えられる。それではこれは何のために行ったのだろうか。それはおそらくは敵騎兵の突撃をくい止めるためである。そもそも騎兵というものは、歩兵の堅固な隊列を突き破る力は無いのであるが、
>それは歩兵の側に、騎兵の突撃を受けても逃げ出すことなく隊形を保持する、規律があればの話である。そしてこの時代の一般の歩兵に、このような能力を期待することはできない。

南北朝時代では下馬した騎馬武者を密集させて
騎馬武者の乗馬突撃の阻止と言うのは
行われて居た様だが
歩兵は密集しては居ないかも知れぬし
室町時代には騎馬武者の乗馬戦闘は廃れ
下馬した騎馬武者を密集させての
乗馬突撃の阻止も行われて居ない訳だろうし
明の騎兵を槍足軽や下馬した騎馬武者を密集させて
阻止すると言う事も
恐らく行われて居ない訳だろうか

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