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長篠で鉄砲三段打ちは無かったと言うが 

長篠で鉄砲3段撃ちは無いと言う
意見が主流と言うが
長篠では土塁の銃眼から
銃兵が狙撃していたと言う
事だっただろうが
銃眼の数が銃兵の数より少なければ
兵が前後に入れ代わって
発砲していたと言う可能性は
無いのかだが
一部の兵は銃眼を使わず土塁の上等から
発砲していた可能性も
有る訳だろうか

http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-05.htm
銃眼と言うのは
上の様な物だった様だが
数はどの程度なのかだろうし
同時に全ての銃兵が此れを
使えたのかどうかだが


野戦でも密集隊形を組んで居る場合は
オランダ式大隊等の様に
兵が前後に入れ替わって発砲して居たと言う事は
無いのかだが
日本は密集隊形は
使用して居なかったと言う
事だっただろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90
>大砲の斉射は失敗したが、ドイツ傭兵が力を発揮し、塹壕で停止した騎兵を火力で射すくめた。この射撃によって騎兵の指揮官が戦死した。

チェリニョーラの戦いの際の
ドイツ傭兵は
銃眼は使用して居たのか
どうかだが


日本の場合は一斉射撃は無く
兵が一人毎狙撃していたと言うが
どの程度の距離から射撃を
して居たのだろうか

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/l50
>250mくらいから撃ち始め、120mくらいで命中率が上がり、
>50mで体のどこかに当たる、30mでほぼ必中。
>威力は50mで24mmの檜の板を撃ち抜きます。

と有るが
鉄砲での犠牲者はどの程度だったのかだが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90

>フランス軍は前日の軽騎兵による妨害で十分
>な偵察ができず、塹壕の存在を察知していな
>かった。

チェリニョーラの戦いでは
こんな騎兵の用法も有った様だが


長篠では雨に紛れて
野戦築城をしたと言うが
雨が降らなかったら騎兵で
野戦築城を悟られぬ様に
偵察を妨害したと言う可能性も有るのかだが
陣を覆う布等で覆って隠した可能性も
有るのかも知れぬが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

>もともと数で劣る武田軍の犠牲者の多くは、鉄砲によって
>ではなく、敗走時に討ち取られたものである。竹束柵を防
>御に幾度となく突撃を繰り返していく内に疲労困ぱいし、
>指揮命令系統が崩壊、まさにこの時織田・徳川連合軍の反
>撃を受けて、たまらず敗走したと思われる。

雨が降った後の泥の上を移動して疲労したのが
軍が崩壊した最大の原因と言う
事だっただろうが
雨が降って居なかったら
勝敗はどう成って居ただろうか

無論雨が降らなければ
織田軍も勝算は無いと見て
戦わなかった可能性も
有るだろうが
何時迄も戦いを避ければ
領土が制圧される危険も
有る訳だろうか


>織田家の勢力の伸張は急速であり、日に々々彼我の国力差は開いていくばかりであった。可能な限り早い段階で、武田家は織田家に対し戦術的勝利を戦略的勝利に転換出来るほどの勝利を得る必要があったのである。

とは言え
泥の中を無理に突入する必要は
有ったのかだろうし
泥等が無い状態で決戦を挑むと言う
方向も有ったのかも知れぬし
城の中の敵兵力は
陣地を造り少数兵力で包囲して足止めし
迂回すると言う
方向は無かったのかだが



>中央部隊の親類衆の早期退却による中央部の戦線の崩壊により、両翼の部隊での損害が増大した。両翼では多くの部将が討ち死にしたが、中央の部隊の部将は親類衆以外でも生還している者が多い。

両翼は敵陣を迂回したから
疲労が増大して壊滅したと言う
可能性も有るのかも知れぬが


>これより六年後の天正9年(1581)に定められた明智光秀家中の軍法によれば、一千石取りで軍役32人、そのうち鉄砲五挺を用意するべき旨定めている。
>この軍役率を参考にすると、長篠合戦に参戦した織田軍の兵力を通説に従い三万五千とすれば、鉄砲は約五千挺ほど用意出来た計算になる。

鉄砲は5000だったと言う
意見も有る様だが
此れだけの数の銃を用意出来たのか
どうかだが

http://www.sanada.or.jp/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
戦国時代の鉄砲の総数は15万丁と有るから
5000程度は十分用意出来た可能性は
有る訳だろうか


http://sidokan.hp.infoseek.co.jp/page259.html
>それとやはり武田軍は戦うべきではなかった。鳶ノ須山を攻略されて背後を取られたとしても、何とか撤退
>を試み、織田・徳川軍を山岳地帯へ引きずり込み、ゲリラ戦で殲滅することも不可能ではなかったと思う。

と有るが
此れは可能だったのかどうかだが


銃を中央に集中させて
中央を早期に崩壊させて
士気を挫き
勝利したと言うなら
矢張り鉄砲の集中運用で
勝利したと言う
事かも知れぬが
精鋭の槍兵等も中央に集中していたなら
鉄砲のみで勝ったのかだろうし
アジャンクール同様に泥が無かったらどう成って
居ただろうか





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参考文献:長篠

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