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2019.08

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独も南北戦争以後の米同様に保護主義で近代化したと言う事の様だが 

http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/lecture/bismark_age.htm
>最後は、産業資本家。自由貿易か、保護貿易か、この対立でアメリカでは南北戦争が起こったほどですから、深刻な問題です。
>しかし、時はビスマルクに味方しました。クリミア戦争に敗れたロシアが近代化に乗り出したころです。機械を買うにもカネがないロシア、穀物を売って資金を得ようと考え、
>ヨーロッパ向けに安い穀物を大量に輸出してきます。あわてたプロイセンの地主たち、保護貿易主義に転じ、ここに保護関税法が成立します。資本家・地主が和解して、この2つの勢力がビスマルク政権を支える車の両輪となり、「鉄と穀物の同盟」と呼ばれます。

独は保護主義で近代化したと言う事かも知れぬし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%88%A6%E4%BA%89
米も同様と言う事かも知れぬが
ロシアが安い穀物を売って来なかったら
ビスマルクはどうしたのだろうか
(独で南北戦争の様な事が
 起き得たのかどうかだが
 対外戦争をする等して不満をそらした可能性も
 有るのだろうか)

ビスマルクも保護主義での近代化と言うのは
時期的に米北部を参考としたと言う事は
無いのかだが

http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/48417/
現代でも保護主義が米の北東部には
有る訳だろうが
彼等は民主党を支持しているのだろうか


http://homepage3.nifty.com/~bbf/11culture.html
>賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ

と言うのは
ビスマルクの言葉だったと言う事を
忘れていたが

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411465959
>ドイツの統一が「鉄と血」のみによって成し遂げられるという国際政治の非情さを愚者は経験によってしか、理解できないだろう、という意味である。

と言う様な
意味だった訳だろうか


http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/lecture/bismark_age.htm

>ただし、中央党(議会中央に席があったためこう呼ぶ)の政治活動は認め、参政権も認めます。中央党はドイツの有力政党として存続し、
>第二次大戦後はキリスト教民主同盟(CDU)と改名しました。2005年にドイツ初の女性首相となったメルケル首相は、CDUの政治家です。

CDUと言うのは
今はカトリック系では無い訳だろうか

>そこでビスマルクは、ベルリン会議を開催し(1878.6)、「誠実な仲買人」と称して調停に乗り出した。しかし、ビスマルクはイギリス・オーストリアの主張を支持し、サン=ステファノ条約を破棄して新たにベルリン条約を結び(1878.7)、
>ロシアの南下政策を阻止したので、ロシアはドイツから離れて三帝同盟は事実上有名無実の状態となった。
>ビスマルクは独墺同盟(1879.10)を結んでロシアからの攻撃に対して相互に全面的な援助を約束する一方で、あくまでロシアを陣営内に留めてフランスを孤立させようと努力し、
>1881年6月に三帝同盟を復活させ、新三帝同盟(1887年まで存続)を締結した。
>さらに1882年5月には、チュニジアをフランスに奪われたことに不満を持つイタリアをさそい、ドイツ・オーストリア・イタリア間で三国同盟(1915年まで存続)を成立させた。
>1885年から87年にロシアがブルガリアに進出し、オーストリアとロシアの対立が激化して新三帝同盟が崩壊すると、ビスマルクは1887年6月にロシアとの間で再保障条約(二重保障条約)を結んだ。
>この条約はバルカンにおける国境の現状維持を主内容とし、条約国の一方が他から攻撃された場合は中立を守ることを約した条約であったが、ビスマルクは独墺同盟があるためにオーストリアに漏れることを恐れて秘密条約とした。
>こうして1887年頃には、ドイツはオーストリア・ロシア・イタリアだけでなくイギリスとも親しい関係にあり、フランスはヨーロッパで完全に孤立していた。しかし。このビスマルク体制は、1890年のビスマルク辞任によって急速に崩れ、
>翌1891年には露仏同盟(1894年に完成)が結ばれてビスマルクが最も警戒していた状況となり、ヨーロッパにおける国際関係は大きく変化していくことになる。

この辺りの外交手腕は
矢張りビスマルク以外には無理な物だった訳だろうか


http://f11.aaa.livedoor.jp/~menou/dream/study03.htm
>三帝同盟の解体は当然なんだが、実はビスマルクはこれまた驚くべき手腕を発揮し、1881年、もう一度この三国で新三帝同盟(三帝協商)を結ぶんだ。

何故新三帝同盟が結べたのかと言うのが
不可解だが
ビスマルクはどの様な条件を
出したのだろうか
(再保障条約と同様と言う事では
 恐らく無い訳だろうが)


http://licht22.jugem.jp/?eid=653
>そのあと同じく1887年、新三帝同盟誕生。
>その頃露さんは英と仲良くしかけてたんだけど、
>上手いこといかなくなって仲間が欲しくてこっちきたというわけです。

81年の間違いだろうが
新三帝同盟は
ビスマルクの手腕に拠る物では
無いと言う事なのかどうかだが

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