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2019.09

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明石元二郎の対ロシア工作は成功していたのか否かだが 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E
明石元二郎が居なければ日露戦争は
負けて居たと言うが
実際何処迄工作は成功して
居たのかだが
(0からロシア革命を起こしたと言う事では
 流石に無いだろうが)
現代日本にもこの様な人物は
居るのだろうか


http://www1.kcn.ne.jp/~orio/yorozu/shohyo001.html
>その明石元二郎を、世界にも何人といない謀略の大家である(p.213)と言い、レーニンに資金を提供してロシア革命の援助をした(p.195、213)と著者は言う。
>しかし明石が主として支援したのはフィンランドのコンニ・シリアクスであり、レーニンと明石が会った事実は確認できていない。
>明石がシリアクスらを援助して日露戦中のロシアの後方撹乱を謀ったのは事実であるが、現実には悉く失敗したことは、最近の研究で明らかである(稲葉千晴「明石工作 謀略の日露戦争」丸善ライブラリー、1995參照)。
>明石の動静が詳細にロシア側のスパイに察知されていたことも、近年明らかになった。すなわち明石元二郎は、戦時謀略活動の先駆者ではあっても、著者が言うような謀略の大家であったり、世界にも何人といないような存在ではなかったのである。

この失敗と言うのは
確定しているのかどうかだが
ロシアも察知して居たなら
何故始末しなかったのかだが
革命側等に潜んだスパイを秘匿する為等に
泳がせておくメリットが有ったと言う
事なのだろうか


http://www.saturn.dti.ne.jp/~sasagu/komura.htm
>しかし小村自身は、明石工作には反対だった。欧米の列強の繁栄にあずかりたい時刻が、革命勢力の後押しをしていれば、列強諸国に誤解をされる危険があったからである。軍事力の齢日本にとって、孤立は最も避けなければならない。彼の懸念も当然といえよう。

と言う様な懸念も
有った様だが


http://www.ne.jp/asahi/kobe/tairiku/majime/Akashi_and_Revolution_in_Russia.htm
>日露戦争終結後、ロシアの国家警察の作成した特別報告書その
>他によって明石工作の存在が知られようになると、ときのドイツ皇帝ウィルヘルム2世を
>して「明石元二郎一人で、大山満州軍二十万に匹敵する戦果を上げた」と驚嘆せしめた。

ロシアは明石の存在を矢張り
把握していたと言う事かも知れぬが
(ロシアは赤軍派等に仕込んだ
 自らのスパイを秘匿する為に
 彼にやられた振りをしていたのか
 或いは本当にやられて居たのかどうかだが
 やられた振りをするなら明石の存在を暴露する意味は
 有ったのかどうかだが)


>疑いつつ話を聞いてみると彼女は、明石
>がこれまで泊まってきた宿の名前を次々と当てて見せたり、いつ何処で誰と会ったか知っ
>ていたり、文書の一部も開封されて読まれているとも言った。
>報酬を約束した明石に対し
>て、ローランは重大な情報を提供した。それは日本の暗号表の写しであった。


可也ロシアに情報は漏れて居たと言う
事かも知れぬが
日本側にも上の様な二重スパイが居たなら
全ての工作が把握されていた訳でも
無いかも知れぬが
其れ以前は暗号表の写し等も有っただろうし
可也の情報が漏れていた可能性も
有るのだろうか


>しかし、没収された銃が全て、賄賂によって
>後に取り戻されたとの報告もある。

こんな状況では
対露工作は案外容易だったと言う事は
無いのかだが



>E:本文約300 ページのうち、おおよそ3分の1が明石工作関係の記述で、総括的な説
>明と、明石を追尾したロシア側の探偵マヌイロフの報告書からなっている。
>〔マナセヴィチ=マヌイロフ,イー・エフ〕→パリで対日防諜活動を指揮したロシア警視
>庁の雇われスパイ。パリのイエナ国際ホテルに滞在中の明石の隣室に部屋を取り、シリア
>クス、ヂェカノーゾフ(デカノージー)らとの接触を探知した。
>「明石がロシアに入国した最初の数か月間についての情報は乏しい」(p.14)状態で、警
>視庁で明石の名が話題になるのはもっとずっと後のことである。しかし日露開戦後明石は
>要注意人物となった。

>マヌイロフが明石を調査するためにパリにやって来たのは1904年10月だったが、年末に
>は早くもペテルブルクから「手を引くように」との指令が来た。しかしちょうどその頃、
>明石の常宿のホテルのメイドが、駐仏ロシア大使に協力を申し出てきた。この事で再び、
>明石に対する調査活動が再開されることになったのだった。そして多数の警視総監宛報告
>書が作成された。このとき明石たちは武器の入手や輸送の計画を進めていたのだった。
>しかし結局武器の大部分は各地に輸送されてしまった訳なので、明石たちを完全には追
>跡出来なかった様である。報告書を見る限り、かなりの事が分かっていた様に思えるのだ
>が。

武器輸送計画を阻止出来なかったのは
泳がせて居たと言うよりは
情報が得られなかったと言う
事なのかだが
蜂起は武器が届く前に確か
失敗していたから
阻止する必要も無いと
考えたのかも知れぬが


>マヌイロフが明石を調査するためにパリにやって来たのは1904年10月だったが、年末に
>は早くもペテルブルクから「手を引くように」との指令が来た。しかしちょうどその頃、
>明石の常宿のホテルのメイドが、駐仏ロシア大使に協力を申し出てきた。この事で再び、
>明石に対する調査活動が再開されることになったのだった。

こんな事で調査活動を再開したと言うのが事実なら
ロシアは本気で調査をして居たのか
どうかだが


>レーニンおよび彼によって建国されたソ連が、病的なほど諜報謀略戦に力を注いだ原因は、明石工作の衝撃であろう。

明石もレーニンには会って居ないと言う
事だっただろうが
会議には呼ばれていた訳だろうが
明石の工作でロシアが敗れたとは
考えて居たのかどうかだが





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参考文献:日英同盟




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