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2019.08

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世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略号外 

http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-225.html#comment

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AD%9D%E9%AB%98
>しかし、本気で天下を取ろうとしたのであれば、息子の長政と綿密な打ち合わせが必要であり、それをしなかったのは如水の手腕を考えれば手落ちというより不審である。そのため、天下を狙う野望を持っていたというのは見せかけで、如水は家康に脅威を感じさせ、一方で息子の長政が家康に忠誠を尽くすことにより、黒田家の存続と繁栄を狙った深謀遠慮であるという説もある

黒田如水は天下を取ろうと言う意志が
そもそも無かったと言う
意見も有る訳だろうか



>2.関が原の戦い後、如水が清正・毛利・島津・秀頼を纏め上げ、西軍参謀のような形でリターンマッチを家康に挑む事が可能だったか

家康を豊臣に対する反逆者等として
上杉も合わせれば
勝算は無かったのかどうかだが
毛利は黒田に味方したのか
どうかだが



>3.そもそも如水が長政と示し合わせ、家康を孤立させる策をとっていたらどうなったか

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AD%9D%E9%AB%98
>嫡男・長政は家康の養女を正室として迎えていたことから、秀吉の死去前後から家康に与し、豊臣恩顧の大名を多く家康方に引き込み、

これでは中々
調略は困難かも知れぬが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%B0%E9%99%A2
>従来の通説や歴史小説では、関ヶ原合戦では東軍(いわゆる武断派)のために動いたとされてきていたが、近年の研究では石田三成らと親しく(三成の三女・辰を養女としている)、関ヶ原の合戦時にも西軍寄りの姿勢を取っていた可能性が指摘されている。

北政所は東軍の為には動いていなかったと言うから
北政所等を上手く利用すれば
調略は不能だったのかどうかだが



>4.如水が大友宗麟のように、スペインと組んでいたらどうなっていたか

西軍とスペインと組んで戦えば
更に有利だったと言う
事かも知れぬが



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B7%A6%E8%BF%91
>しかし、その夜に島津義弘・小西行長らと共に提案した夜襲は、またもや三成に受け入れられずに終わった。(夜襲はそもそも進言されていないという説もある。そもそも夜襲を掛けるタイミングとしてはうってつけでありすぎ、逆に見破られる公算も高かった状況である。百戦錬磨の猛将が提案するにしては、多少お粗末な感も拭えない。また、夜襲策の出典自体「日本戦史」(旧日本軍参謀本部編)であり、信憑性は低い)


夜襲をすれば此れが読まれていたとしても
島津が参戦し
西軍が勝利した等と言う意見も有っただろうが
夜襲の献策自体が事実では無いと言う
事なのだろうか



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E5%90%88%E6%88%A6
>小早川秀秋隊は、大谷吉継隊右翼を攻撃する。吉継は秀秋の裏切りを予測して温存していた500の直属兵で迎撃し、


>ところが、藤堂高虎などの内応策によってそれまで模様眺めをしていた脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱らの西軍諸隊も小早川軍に呼応して東軍に寝返る。予測し得なかった四隊の裏切りで戦局は一変する。


小早川は兎も角脇坂等の裏切りは
読めなかったと言う事なのだろうか
(此れも読んでいれば
 兵の配置を変更する等して
 勝利出来たと言う可能性も
 有る訳だろうか)

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