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ロシア戦役敗北後にナポレオンが同盟軍に勝てた可能性は 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%92%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ライプツィヒの戦いで同盟軍が100万も居たとは
知らなかったが
各個撃破できる可能性は
有った訳だろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
>ナポレオンへ皇后マリー・ルイーズを嫁がせていたオーストリアは停戦を仲介するが、和平交渉は決裂。

タレーランが居れば或いは
正統主義等を唱えて仏は
助かったと言う事は無いのかだろうし
再反撃の機会も有ったかも
知れぬが


>ロシア・オーストリア・プロイセン・スウェーデン連合軍はトラーヒェンブルク・プランを採用し、ナポレオン本隊との正面衝突を避け、部下の部隊との会戦を志向する戦略を取った。

まあナポレオン本隊と戦ったら
或いは負けて居たと言う
事かも知れぬし
上手く別働隊を囮にして
本隊が各個撃破を
出来なかったのかだが


>ナポレオンは、「マリー・ルイーズ兵」と揶揄された未熟練の若い新兵たちを率いて、局地的な戦闘でたびたび勝利を収めた。
>例えば、2月10日から14日にかけての六日間の戦役(五日間の戦役とも)と呼ばれる戦いは、ナポレオンの戦歴の中で最高の作戦であったと評価する見方も多い。
>ナポレオンは、シャンパーニュへ侵攻した10万のブリュッヘル軍に対して、4万の兵力をもって機動作戦を展開し、これを打ち破っている。

まあ矢張り地の利と言うのが
有った訳だろうし
ドイツ等無視して最初から本土で
戦っていればと言う事かも
知れぬが


>3月9日、イギリスの主導により同盟諸国はショーモン条約を締結し、1791年当時の国境の回復を条件に停戦を提案したが、ナポレオンは拒否した。

まあ此所で停戦して時間を稼ぐと言う
手も有ったのかも知れぬが
ナポレオンは停戦せず共勝算が有ると
考えて居たのかどうかだが





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参考文献:タレーラン



Talleyrand



Metternich



ナポレオン
napoleon
ナポレオン 外交

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