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2017.10

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無敵艦隊が英国に上陸出来た可能性は 

http://www.kaho.biz/hokubei/a.html
オランダでの反乱が此れは
響いたと言う事かも知れぬし
反乱が無ければ英国は
無敵艦隊に上陸され殲滅されていた可能性も
高い訳だろうか


アルマダ海戦では英は船体射撃
スペインはマストを狙って居たと言うが
トラファルガーの時も英は船体射撃
仏軍はマストを攻撃していたと言うし
仏やスペインの戦術は
無敵艦隊が敗れたにも関わらず
この段階から
トラファルガー迄
進歩して居なかったのは何故なのだろうか


>さて、1568年以来、ネーデルランドがスペインの支配に対する反乱を起こしていたことは既に述べたとおりである。ネーデルランドの北部(現オランダ)はプロテスタント、
>南部(現ベルギー)はカトリックで、スペインもカトリックであることから南部は戦線から脱落してしまうが、
>北部7州はその後も徹底抗戦を続け、81年には「ネーデルランド連邦共和国」の設立を宣言した。これがオランダ(註1) の始まりである。

マウリッツが居なければ
反乱は鎮圧されていたかも知れぬし
オランダで反乱が起きねば
無敵艦隊は英に上陸し
英は負けていたと言う
事かも知れぬが
スペインもオランダをもっと本気で叩いていれば
マウリッツが居ても
オランダは負けたと言う可能性も有るだろうか


>フェリペ2世はイギリス本土上陸作戦を認可した。まず「スペイン艦隊によるイギリス本土攻撃案」については71年の「レパント沖の海戦(註1)」で活躍したスペイン艦隊司令長官サンタ・クルーズ侯からの上申があり、

サンタ・クルーズ公は作戦直前に
死んでいた訳だろうが
彼でさえ英の巨大な焼き討ち船の襲来を
予測出来たのかだろうが
英軍が以前も同様の戦術を用いて居たなら
彼なら対処出来た可能性も有るだろうし
焼き撃ち船に焼き討ち船を当てると言う様な
戦術で此れに対抗した可能性も
有るだろうが
英が突然巨大な焼き討ち船を使用して来たら
対処出来たのかだが
焼き討ち船回避後に素早く陣形を纏めて
英艦隊に対処出来
別の方面軍を合流させて英に上陸出来た
可能性は無いのかだが


英軍の弾薬も可也消耗していたと言うし
白兵戦では勝てないなら
焼き討ち船の攻撃を受けても
素早く陣形を回復して英軍の弾薬が切れる迄持ち堪えれば
上陸或いは補給は可能だったと言う
可能性は有るのかも知れぬが


>1588年2月、スペイン艦隊司令長官サンタ・クルーズ侯が亡くなった。後任の司令長官に任じられたシドニア公は海についてはまったくの素人であり、本人も断ろうとしたがフェリペ2世は何故か頑として聞き入れようとしなかった。

サンタ・クルーズ程では無いにしても
まともな海軍の士官を使って居れば
陣形を回復出来たと言う
可能性も有るだろうが
大型の焼き討ち船の襲来は
予測出来たのかだが


>註3 実はその2ヵ月前にも一度出撃したが嵐のため引き返していた。

確か英軍の攻撃準備はこの段階では
出来て居なかった訳だろうし
嵐が来なければ或いは英は
負けて居たと言う可能性も有るなら
英国こそ神風に救われた国では
無いのかだろうし
元寇は神風等無く共
日本が勝てた訳だろうか


>さらによりにもよって、財務長官と金庫を載せた「サンサルバドル」が爆発炎上(註1)して艦隊の志気を著しく落してしまった。

何でこの様な艦艇が
随伴していたのかだが
兵に金を払う
為だったのだろうか


>1556年カールは弟フェルディナントに神聖ローマ皇帝位とオーストリアを、その他のすべてを息子フェリペに譲って引退した。

片方が全てを支配していれば
オランダの反乱等問題は無かったと言う
可能性は無いのか
どうかだが
一応連携はして居た訳だろうか


>ドレイク艦隊はスペイン領南アメリカの太平洋沿岸地域への襲撃を繰り返し、特に3月1日には赤道付近で銀を満載した輸送船「カカフェーゴ」を捕捉、砲撃でマストをへし折った後、斬り込み攻撃をかけて40万ペソ相当の銀を奪い取った。

まあ矢張り商船に関しては
英艦隊も船体は狙わない訳だろうが


>マゼランにつぐ史上2番目の世界一周航海であり、出発以来2年と10ヵ月の間に60万ポンド相当の収獲を得た。
>当時のイギリス国王の年収が20万ポンドであったというからこれは大変な大略奪行であり、しかも表向きはイギリス・スペイン関係が平和な時期にやってのけたのだから凄まじい話である。

此れは可也の略奪だが
英の国家予算が少なかったと言う事は
無いのかだが

フェリペ2世がプロテスタントを認めれば
オランダ独立も無かったかも知れぬし
オランダが妨害せねば英艦隊に
勝てたかも知れぬし
英の略奪は続いただろうから
英国攻撃は不可避だったかも知れぬが




上には無敵艦隊が負けたのは
英の砲力が原因では無く合流地点の確保が
問題だったと有るが
(砲力で負けたのでは無く
 隊形を焼き討ち船で分散させられた後
 白兵戦で各個撃破されたと言う
 事なのだろうか)
此れはどう言う事なのかだが
英の旗艦を此れより速力の有る小型艦艇で
陣形を崩さず追跡して
包囲殲滅と言う方向は
無理だったのかどうかだが


http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/bookdata/500/b543.htm
>英国の勝利は常に風上に立ちスペイン艦隊を北海に追いやることでなされた。スペインの兵士3万人のうち2万人が敗走する艦隊がスコットランドの北を大回りし、アイルランドの西岸に座礁して失われた。

勝因はスペイン艦隊を北に追いやって
嵐に巻き込んだと言う
事なのかどうかだが
焼き打ち船から逃げた後
即座に合流して白兵戦を挑むと言う事は
スペインは出来なかったのかどうかだが


http://archelontrade.blog4.fc2.com/
>記録を調べていくと、イスパニア船もイングランド船同様に長距離砲を搭載していて、イングランドの砲撃に対してイスパニア側もそれなりに撃ち返しているのだそうです。
>海戦の勝敗を決したのは三国志の頃からの伝統的手法、すなわち火船による焼き打ちで戦法でした。イスパニア船の沈没原因のほとんどは漂流後の嵐によるものだったという事実は「レパントの海戦で白兵の時代が終わり、
>アルマダ海戦から艦砲の時代がはじまった」というイメージを変えてくれます。

実際は砲力は大差無かったと言う事かも知れぬが
スペインは船体を狙って居たのかどうかだが
焼き討ち船で隊列が乱れ
此れを回復で出来ず各個撃破を受けた事が
矢張り敗因なのだろうか


http://kuni.milky-web.net/genkou29.html
>少なくとも無敵艦隊には2回、勝つチャンスがあった。
>一度目は英国艦隊がプリマスに停泊していた時。

>その時、無敵艦隊は十分ワイト島を攻略できた。
>当然英国艦隊側は必死で防戦したが、もし本気を出せば、
>ものの数
>ではなかったに違いない。

英艦隊は強力だから
自らは防御に徹して攻撃するなと言う命令が
フェリペから出て居たと言う事では
無かったのかだが


>実はスペイン側には、致命的ともいっていい弱点があっ
>た。
>総司令官メディア・シドニア公は、戦意に乏しい穏やかな
>老人あった。

フェリペが攻撃をするなと言う
命令を出して居らず
且つ普通の艦隊指揮官を登用していれば
無敵艦隊は十分勝てたと言う事は無いのかだが





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参考文献:エリザベス 女王

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