Category

2017.08

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フリードリヒ大王がペチコート同盟を外交で打破する方法は 

フリードリヒ大王が所謂
ペチコート同盟を
外交で打破する方法は有ったのかだが
仏と結んで英を叩くと言う様な
方向しか無かったのかだが
アントワネットが仏に行った後に
仏と同盟と言うのは
矢張り余程の事が無い限り
困難かも知れぬし
単に仏の敵である英を叩くと言うだけでは
可能だったのかだが
(アントワネットが仏に行く前なら
 或いは可能だったのかも知れぬが
 アントワネットが仏に行った後でも
 英を叩くと言う事で
 仏に中立を守らせる程度は
 可能だったのかどうかだが
 英の陸軍力は大した事は無いかも知れぬし
 仏と戦うよりはましだったのかも
 知れぬが)
仮に可能だったとしても
英がオーストリアと結ぶ可能性は
有るだろうし
オーストリア・ロシア・英と
仏・プロイセンでは分が悪いと言う事は
無いのかだが
この程度の差なら大王の軍事能力であれば
勝てたと言う事かも知れぬし
英・オーストリア・ロシアの間を上手く
裂ける可能性は無かったのかだが


まあしかし
エリザベータが死んだタイミングも不可解な部分も有るし
フリードリヒが命じてピョートルに暗殺させたのか
或いはフリードリヒ信奉者のピョートルが
大王が危機に陥ったから
暗殺したと言う可能性は無いのかだが


大王の母親は確か英国人だが
7年戦争の時には死んでいただろうし
英国を裏切る事は無理だったのか
どうかだが
此れはマキャベリズムなので
反マキャベリ論等を書いた
大王には選べなかったのかだが
オーストリア継承戦争はマキャベリズムの産物では
無いのかだが
領土の正当な要求なのだろうか

プロイセン系のエカテリーナと共同で
オーストリアや英仏を壊滅させようとは
考えなかったのだろうか
(まあしかしエカテリーナと共同で
 ポーランド分割と言うのは
 考えた訳だろうが)

オーストリアは大王信奉者のヨーゼフが居ただろうから
オーストリア・ロシアと同盟して
英を叩き
次は仏(或いはオーストリアも)を叩くと言う様な感じで
各個撃破出来なかったのかだが
(仏にアントワネットは居たとしても
 ヨーゼフが仏を裏切る可能性は
 無かったのかだが)


http://members.at.infoseek.co.jp/y_encyclopedia/history.html
>ハンガリーは後のオーストリア・ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフの妻エリーザベトのときもそうであるが、才気あふれ純真なテレジアに心を動かされ、ついに援助に同意する。
>これ以後マジャール人たちはテレジアのもっとも信頼のできる近衛兵となるのである。

此れが無ければ
所謂ユサールと言う物も
無かったかも知れぬし
此れから欧州の軍装が
影響を受ける事も無かった訳だろうか


http://blogs.dion.ne.jp/duke/archives/3818406.html
>こうしてマリア・テレジアはプロイセン王国を三方から包囲することに成功。これに驚いたフリードリヒ二世はイギリス王国と同盟を結び、オーストリアに対して先制攻撃を仕掛けました。七年戦争(1756年~1763年)の勃発です。

此れは流石に大王も
予測困難だった訳だろうか

まあ持ち堪えれば
仏は英との戦争で戦線離脱していた訳だろうし
オスマントルコ等の存在も有る訳だろうから
エリザベータが死なず共
何とか勝算は有ったのかも知れぬが






人気blogランキングへblogranking









参考文献:フリードリヒ大王



frederick the great
Seven Years' War
Seven Years' War osprey
マリア テレジア
Maria Theresia
ポンパドゥール
Pompadour

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。